あのフランス皇帝の公募がルーツ!? 「缶詰の作り方」の歴史

2019/05/20

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缶詰のルーツはレーションにあった?

缶詰の歴史は、レーション(コンバットレーションの略。軍隊や自衛隊で配給される携帯食料。ミリ飯、戦闘糧食、野戦食とも)の歴史といっても過言ではありません。古代から軍事行動における食糧確保は重要な課題で、特に遠征時の兵站(戦闘部隊の後方にあって、人員・兵器・食糧などの整備・補給・修理を行うこと。その部署・機関)による食料補給は難しかったといいます。

 

軍隊の食糧問題に対して、いち早く動いたのはフランス皇帝ナポレオン・ボナパルト(一世。1769年~1821年)です。「軍隊の士気をあげるには、栄養豊富で美味しい糧食が必要」と考えたナポレオンは、1795年、常温で長期保存できる食糧の開発を、懸賞金をかけて広く民間へ呼びかけました。

 

その公募で採用されたのが、1804年、フランスの料理・菓子職人だったニコラ・アペール(1795?年~1841年)の「瓶詰」で、「ガラスびんの中に調理した食物を入れ、コルク栓を緩くはめて煮沸。びんの空気を抜いた後、コルク栓で密封する」というものでした。1806年には船での長距離輸送実験が行われ、瓶詰の保存能力は船長や海上提督からとても高く評価されます。そして1810年、アペールは1万2000フランの賞金を得たのです。

 

「食物を容器に密封し、加熱によって殺菌する」。アペールの瓶詰技術は缶詰製造の基本理論でもあり、このことからアペールは、「缶詰の発明者」としても名を残しています。

 

瓶詰から缶詰へ

 

瓶詰は食品を長期保存する上で画期的な発明でしたが、ガラスの瓶は割れやすく重いため、輸送面には難点がありました。そんな中、1810年、イギリスのピーター・デュランドがガラス瓶の替わりにブリキ缶を用いた「缶詰」を発明し、特許を取得。「チン・キャニスター(Tin Canister)」と名付けられました。英語の「Can(キャン)」という語は、この名前を省略したものだそうです。

 

1812年にはデュランドの特許を基に、ブライアン・ドンキンとジョン・ホールがイギリスに世界初の缶詰工場を設立。1813年から陸海軍に納入を開始します。ただ、手作業ではんだ付けをしていたため、一人当たり1日に60~70個しか製缶できませんでした。

 

初期の缶詰は殺菌方法に問題があり、中身が発酵して缶が破裂することもあったといいます。また、使われたブリキ板が厚く、当時は「缶きり」もなかったため、のみと斧で開封していたそうです。

 

缶詰製造過程で生まれた、さまざまな発明

 

缶詰の製法はアメリカにも伝わり、1818年、ダゲットという人物がニュ一ヨ一クでカキ缶詰を製造。1825年にはトーマス・エー・ケンゼットが、あらかじめ蓋に気抜孔を開ける方法を考案、ブリキ缶と缶詰製法について、アメリカにおける最初の特許を得ています。ケンゼットの製法により、缶詰の供給能力は大きく高まりました。その後、製缶技術は飛躍的に進歩し、1847年、アメリカ人のアレン・テーラーが、缶蓋底面の打抜き缶(缶胴と缶底が一体になっている缶。原料の金属板を打ち抜き、プレスして製作する。絞り缶とも)を発明して特許を取得。2年後の1849年には、アメリカ人、ヘンリ・エバンスが蓋と底を打ち抜く機械「ティン・プレス」を発明し、これまで手作業で作られていた蓋底は機械で作られるようになります。

 

その後も、1852年に蓋底ハンダ付器、1877年には缶胴接合の機械が考案されるなど、製缶に関する新たな考案や発明が相次ぎ、製缶の量産化は著しく進みました。

 

缶詰の普及に拍車をかけたのは、1861年の南北戦争です。レーションに缶詰が用いられたため一気に需要が高まり、やがて一般向けにも製造されるようになっていきます。また、1858年、アメリカのエズラ・J・ワーナーによる「缶切り」の発明も、一役買っているといえるでしょう。

 

日本初の缶詰はイワシ缶

 

日本で初めて缶詰が作られたのは、1871年(明治4年)のこと。長崎の広運館(後の旧制・長崎英語学校)・司長だった松田雅典(1832年(天保3年)~1895年(明治28年))は、1879年(明治2年)、当時フランス領事館領事だったレオン・デュリー(1822年~1891年)に出会います。デュリーは松田に牛肉の缶詰をすすめますが、それを口にした松田はびっくり。数ヶ月前に製造されたのに牛肉は腐っておらず、とても美味しかったからです。

 

缶詰に魅せられた松田はデュリーに缶詰製造技術を学び、試行錯誤の重ね、1871年(明治4年)、日本で初めてとなる「イワシの油漬け缶詰」を完成させました。その後、松田は缶詰製造の必要を県令に説き、1877年(明治10年)、長崎に「缶詰試験所」を設立。主任として製品開発に尽力しました。1879年(明治12年)には缶詰試験所の払い下げを受けて、「松田缶詰製造所」を開業。一方、北海道に日本初の缶詰工場「北海道開拓使石狩缶詰所(1877年)」が作られ、工場建設は日本各地に広がっていきます。日本で製造された缶詰は外国にも輸出されるようになり、日清戦争のレーションとしても利用されるのです。

 

美味しく環境に優しい缶詰

 

その後も改良を重ねてきた缶詰には、今や魚・肉・果物・野菜といった食材、ビールやジュースなどの飲み物まで、さまざまな種類の食品を入れ、加工することができます。缶の素材も、黎明期から長期にわたって採用されてきた「ブリキ缶(スチール缶。鉄製)」が中心でしたが、現在はアルミニウムを用いた「アルミ缶」も使われており、この2種類が缶製品の主流となっています。なお、食品に使用されている缶は、本体がスチールで蓋がアルミニウムという組み合わせが基本で、他には「コーヒー、紅茶(陰圧充填製品:缶内圧が大気圧より低い製品)などはスチール缶(ブリキ缶)」「炭酸飲料(陽圧充填製品:缶内圧が大気圧より高い製品)はアルミニウム缶」など、それぞれの特長を生かした缶詰作りが行われています。

 

ブリキ缶の場合、表面にすず(錫)などをメッキ加工した「ブリキ」、すずを使用しない「ティンフリースチール(Tin Free Steel。略:TFS。錫無し鋼板のこと)」という2つの鋼板を採用。どちらも鉄の腐食を防ぐことができ、水や酸素も通しません。高い密閉度を有し、また、落としても破損することはなく、耐久性抜群の素材だといえます。

 

対するアルミ缶の始まりは、1918年、ノルウェーでの缶詰利用がきっかけです。ノルウェーは、魚類缶詰用として打抜角缶の製造に成功し、これは欧州を中心に用いられてきました。また、アルミ缶は、ブリキ缶と同じ長所を持ちながら、「軽量かつ外観・印刷効果が高い」「錆びない」「熱伝導性が良い」「ブリキ缶に時々生じる、錆や硫化物による缶内面の変色がない」「開缶が容易」「内容物に与える影響が少ない」といった利点、さらに製缶材料としてのアルミ合金の開発・製缶技術の発展も手伝って、今は世界中で広く用いられるようになっています。

 

缶詰には優れた保存能力だけでなく、ブリキ缶、アルミ缶共に、リサイクルすることができるというメリットもあります。ブリキ缶は回収後、鉄スクラップとなり、建築用鋼材や鋼板ほかさまざまなものに再生されます。一方のアルミ缶は、リサイクルで新しいアルミ缶へと生まれ変わります。空き缶の回収・リサイクルは資源の有効利用、地球環境保全などにもつながるため、食品・飲料水の保存には、今後も缶詰が主役となることでしょう。

 

これからはあらゆる製品に「環境への配慮」が求められる時代

昨今では地球温暖化を始め、数多くの環境問題が取り上げられています。そのため、「環境への配慮」が全ての製品に求められる時代がやってきているのです。

そんな中リサイクル性に優れたアルミニウムという素材は今後もあらゆる製品に使用されていくでしょう。

日本軽金属では過去に某大手コンビニチェーン向けに業務用おでんの缶詰などを製造しており、今では業務用のビール樽も製造しております。

環境に配慮した製品開発をお考えの際は、ぜひ一度日本軽金属にお問合せください。

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