車輪の発明からアルミ製フレームの最新車椅子まで。車椅子のブレイクスルー

2019/05/27

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車椅子を生み出した車輪の発明

「車椅子」は歩行の不自由な人の移動を補助し、より円滑な日常生活や社会生活を送るため、またスポーツや趣味などを楽しむために欠かすことのできない道具です。手動式と電動式とがあり、前者は自助式(自操式。利用者が後輪(駆動輪)の輪(ハンドリム)を自分で操作する)と、介助式(後ろから介助者が後押す)に分けられます。一方の電動式車椅子は電動モーターで車輪を動かし、移動するもので、どちらも障害の程度や使用目的に応じて、さまざまな製品が作られています。

 

車椅子の歴史は古く、少なくとも2000年以上前から使われていたようです。ただ、当時の利用目的は身体に障害を負った人の補助ではなく、高貴な身分の老齢者向けだったと考えられています。また、紀元前500年頃のものだとされるギリシャの壁画には、車輪付きのベッドが描かれているそうです。

 

車椅子の歴史を紐解く上で、「車輪の発明」は欠かせません。その起源は紀元前5000年の古代メソポタミア文明に遡り、当初はろくろとして使われていたようです。紀元前約3500年前になると、板を組み合わせて円形を作り、金具で止めた車輪が登場。当時、描かれたメソポタミアの絵文字には、現在わかっている中で最も古い車輪付きの乗り物が残されています。物や人を運ぶだけでなく、滑車や歯車などに応用された車輪は産業発展の基盤となり、やがてエジプト、インド、黄河流域に伝播していったようです。

 

三国志の天才軍師が発明した「木牛流馬」

 

車輪はさらに「チャリオット(戦車。戦闘用馬車)」を生み出し、古代の戦場で活用されます。紀元前2500年頃のウル王墓(メソポタミア)から発掘された「ウルのスタンダード(箱型工芸品)」からは馬車のモチーフが、インダス文明の都市遺跡ハラッパー(インダス文明)では、紀元前2000年前のブロンズ製チャリオットと御者が見つかっています。また古代中国・殷(商)王朝(前17世紀末もしくは前16世紀初?~前1122年・1027年)の「殷墟」、秦の皇帝・始皇帝(前259年~前210年)陵の「兵馬俑」からも戦車の遺物が発見されていることから、当時の戦争には欠かせなかったといえるでしょう。

 

「三国志」に登場する蜀の天才軍師・諸葛孔明(181年~234年)も車輪を用いた「木牛流馬」という兵糧運搬用の車を考案しています。これは木で牛馬を象った運搬車で、詳しい仕組みは明らかになってはいませんが、機械仕掛けで動いたそうです。なお、孔明は「五丈原の戦い(234年)」で「車椅子」を使い、敵軍を翻弄しています。五丈原で、司馬仲達率いる魏軍と対峙した孔明ですが、この時、病に侵されていました。戦局は膠着状態となり、孔明は魏軍を攻略できぬまま陣中で没します。「孔明死す」の情報は仲達の耳にも届き、撤退する蜀軍を追撃。ところが、蜀軍は反撃の形勢を示したのです。

 

そこで仲達たちが見たのは、車椅子に乗る孔明の姿!! 魏軍はあわてて撤退します。これがことわざにも残る「死せる孔明、生ける仲達を走らす」です。車椅子に乗っていたのは孔明の木像で、孔明は死ぬ前に、この作戦を指示していたといいます。孔明の「車椅子作戦」により、蜀軍は無事に軍を引くことができたのです。

世界初の自走式車椅子は三輪車?

 

中世になると、当時の絵画や資料から、車椅子が一般的に使われていたことがうかがえます。たとえば、宗教画・肖像画で知られ、マルチン・ルターの宗教改革の支持者でもあった、ドイツ画家ルーカス・クラナッハ(1472年~1553年)の『若返りの泉(1546)』には、手押し一輪車を用いて人を運ぶ様子が描かれています。また、「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれるスペイン最盛期を築いた、スペイン国王・フェリペ二世(1527年~1598年)も、手押し式車椅子を使っていたという記録があります。彼は痛風を患っていたそうで、歩行補助というより、介助用だったと思われます。

 

自走式車椅子が初めて世に出たのは1650年代のことで、ドイツの時計職人、ステファン・ファルファ(ステファン・ファーフラーとも)という人物が考案したと伝えられています。彼の発明した車椅子は後輪に大型車輪2つ、前輪にギア付きの車輪をひとつ装着した形でした。今のように後輪を回すのではなく、前輪についたペダル上のクランク(ピストンなどの直線往復運動を回転運動に変える、またはその逆を行う装置)を手回しして動かしました。ファルファは足が不自由だったことから、一人で外出できるよう、この自走式車椅子を作ったといわれています。

 

18世紀になると自転車の発明に並行して、温泉治療のために使う車椅子(バスチェア)をはじめ、さまざまな車椅子が作られるようになり、ヨーロッパでは、車椅子が商業的に製造されていたようです。ただ、当時の車椅子は障害者対応ではなく、健常者も利用していました。

 

現在の車椅子のベースとなる「4輪ボックスタイプ」を発明したのは、アメリカの鉱山技師で障害者だったハーバート・A・エベレストと医療技術者ハリー・C.ジェニングズでした。1932年、彼らの開発した車椅子は大型の後輪、前輪には小型のキャスターが付いており、後輪で駆動。布張りの椅子、椅子と走行部分の一体化で軽量化が図られています。また、交差ブレース(Xフレーム)機能を導入したことで、使用しないときには折りたたむことも可能にしたのです。

 

長期旅行に使われた日本の車椅子

 

日本でも早くから、車輪付きの乗り物を使っていたことがうかがえます。平安時代の書物に出てくる「牛車」などは、その最たるものでしょう。車椅子の原型と考えられているのは、箱や板に4つの車輪(木製)の付いた、「土車」「いざり車」と呼ばれる乗り物です。平安末期の『年中行事絵巻』『一遍聖絵(1299年(正安元年)成立。時宗の開祖・一遍(1239年(延応1年)~1289年(正応2))の伝記を記した絵巻)』をはじめとする多くの資料に、「土車」「いざり車」の様子が描かれており、それを見ると使用者が座ったまま、棒で地面を突く、もしくは介助者が縄や手押し部分で引っ張るという方法を用いて動かしていました。

 

これらは下肢が不自由な人に加え、寺院巡礼などの長期旅行をする人にも利用されていたようです。「土車」「いざり車」は中世から第二次世界大戦中(1940 年頃)まで、日本の一般的な障害者向け歩行補助具であったと考えられています。

日本で最初の車椅子については、資料がほとんどなく、はっきりとしたことはわかっていませんが、1920年(大正10年)頃、人力車のメーカーによって作られた木製の「廻転自動車」であるといわれています。その後、北島藤次郎氏という人物が1936年(昭和11年)に北島商会を創業。車椅子の製造を始めます。北島氏はイギリス製の車椅子を見本に製作した木製の車椅子を、多くの傷痍軍人を収容していた箱根療養所に納入しました。

 

北島氏が製作した車椅子はフレームが鉄、座席部分は木材、シートや背面は籐で編んだもので、「箱根式車椅子」とも呼ばれ、現代の車椅子に近い形になっています。ただ、ハンドリムがついておらず、利用者は車輪を直につかむなどして操作していたそうです。

 

個人の用途に応え、多様化する車椅子

 

日本の車椅子は、1964(昭和39)年、東京パラリンピックをきっかけに研究・改良が行われるようになります。1971 年(昭和46 年)には、日本工業規格JISが制定され、その後は各メーカーが大量に生産する時代へと大きく進化を遂げました。現在では、素材や技術を用いて、電動車椅子をはじめ、一人ひとりの状態と生活スタイルに合った車椅子や、またスポーツ用など高機能の車いすが生産されています。

 

たとえば、初期の車椅子のフレーム素材は鉄が主流でしたが、標準型車椅子でも平均重量が約16~17kgと重く、特に女性が介護者の場合、取扱いが大変でした。また腐食なども問題になったため、車椅子の軽量化を含めてステンレス鋼が用いられます。しかし、ステンレス鋼車椅子は鉄製より高価というデメリットがありました。

そこで登場したのが、現在、車いすのフレーム素材の主流であるアルミ合金です。強度があり、加工しやすく、軽量なアルミ合金の車椅子は高価だったものの、抜群の使いやすさで多くの人に受け入れられました。近年はコストダウンも進み、アルミフレームの車椅子が一般的になっています。

 

多様化するニーズを「アルミニウム製品」で解決する日本軽金属のものづくり

世の中のニーズには常に流動的です。そのためものづくりを生業とする企業は多様化する「ニーズ」に応える必要が出てきます。絶対的な正解はありませんが、車椅子の場合のように「素材」でニーズを解決することもあります。日本軽金属はお客様のニーズに合わせて工法の強みを最大限引き出し、お客様の要求スペック・品質・コストダウンの実現に貢献します。

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