時代とともに変化する「時間を確認する方法」。腕時計の発明

2019/10/09

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スマートフォンや携帯電話が普及したことで、腕時計を使わない人が増えているといいます。かつて腕時計は万年筆と並び、入学、就職に際しての代表的なお祝い品でした。しかし、安価で使いやすいボールペンが出回ったことで、万年筆はその座を追われます。腕時計は、その後も人気商品でしたが、先述の通り、近年はお祝いのみならず、日用必需品としての需要も減少しているといえます。

 

腕時計が長い間、お祝いや誕生日といった特別な日の贈り物に選ばれたのは、生活の中で必要不可欠な「時間確認」に優れていたからだといえます。古代から「時(季節)を知ること」で文明を築き、科学を発展させてきた人間にとって、簡単に時間を持ち運べる腕時計は、その最たる機器だったのです。

 

時計が生まれ、人間が腕時計にたどり着くまでには、長い時間がかかっています。その歴史を探ってみましょう。

 

日時計に始まった時計の歴史

 

時計の歴史は起元前4,000年までさかのぼります。当時の人々は星座をはじめ、太陽や月などの天体を観測しながら、時間、日付、季節を確認していました。時間を知るために作られた、人類最古の時計は「日時計」です。地面に垂直に立てた棒や石の柱が、太陽によって地面に落とす影の位置や長さで時刻を知りました。

 

ただ、日時計だと、曇りや雨の日、夜間は役に立ちません。そこで紀元前1400年頃に発明されたのが「水時計」でした。これは容器から一定速度で水が流れ出すようにし、水面の高さで時間を知るという仕組み。日本においても、671年、天智天皇の命により「漏刻(水時計)」が設置され、鐘や太鼓を打って時を知らせることを始めています。

 

とはいえ、水時計も水が蒸発したり、凍ってしまうと使えません。そのため、人々は工夫をこらし、様々な時計を作り出します。6世紀頃には燃える速さが安定した、ローソクやランプを用いた「燃焼時計」が登場。14世紀頃になると、「砂時計」が作られるようになります。砂時計は揺れや温度変化に強かったので、長い間、船上で時間を計る道具として使われました。

 

塔時計から始まった機械式時計

13世紀後半になると、錘を動力とする機械式時計が誕生します。世界初の機械式時計は、1270年~1300年頃、北イタリアから南ドイツに至る地域で作られた塔時計で、文字板や針はなく、鐘を鳴らすことで時を知らせていたそうです。錘を巻き上げ、錘が下がっていく力を利用して時計を動かしていたので、時計そのものには高さが必要になります。このため、高い建物や塔の上に設置され、移動させることはできませんでした。

 

なお、機械式時計の基本要素は「動力源」「調速機」「脱進機」で、これは現在に至るまで変わっていません。

  • 動力源:時計が動くための仕組み。これを改良することで、持ち運び可能な時計が実現する。
  • 調速機:機械において、回転などの運動速度を自律的に調整する仕組み。調速機の改良は、精度と携帯性の向上が図れる。
  • 脱進機:調速機が同間隔での往復運動を持続させるため、常に間欠的な力を与え続けながら、歯車を一定間隔で回転させる部品。脱進機の改良することで、精度と耐久性の向上につながる。

たとえば、先述の塔時計の動力源は錘ですが、デメリットとして部品がかなり大きくなります。移動させる時計を作るためには、錘を他の部品に変えることが必要不可欠。そこで多くの職人たちは、「動力源」「調速機」「脱進機」に新しい技術や工夫を取り入れ、より使いやすい時計を生み出していったのです。

 

時計の小型化と懐中時計

時計が小型化されるきっかけは、動力に「ゼンマイ」が使われるようになったことにあります。というのも、ゼンマイは「錘に比べサイズが小さく、時計の移動や傾きに左右されにくい」「巻上げられたゼンマイのほどける力で時計を動かす」という特徴を持っているからです。あります。ゼンマイが、いつ発明されたかははっきりしませんが、15世紀後半(1462年頃)のヨーロッパには、すでにゼンマイを使った時計が存在していたようです。

 

1582年頃、イタリアの物理学者・天文学者であるガリレオ・ガリレイ(1564年~1642年)が振り子の等時性原理(振り子の周期(往復する時間)は振れ幅の大きさに関わらず同じであること)を発見したことは、時計技術に大きな革新をもたらしました。1654年、イギリスの科学者ロバート・フック(1635年~1703年)は、振り子の原理から「ひげゼンマイ機構」の基礎を確立。1656年頃、オランダの科学者クリスチャン・ホイヘンス(1629年~1695年)は、ガリレオの発見を基に振り子時計を開発します。フックはひげゼンマイが時計のてんぷ(時計の運行速度を制御する部分)に応用できることに気づきますが、特許は取得しませんでした。一方、1675年、ホイヘンスはひげゼンマイによるてんぷ式調速機を考案し、フランスで特許を取得します。

 

当時の携帯時計は、最小でも高さ、厚さ共に10cm程度もある振り子式で、身につけられるものではありませんでした。しかし、1695年にイギリスの時計師トーマス・トンピオン(1639年~1713年)が、置時計用に、より精度の高い「シリンダー脱進機」を考案。1727年には、トンピオンの弟子であるジョージ・グラハム(1673年~1751年)が、この仕組みを懐中時計に実用化したことで、時計の小型化、高精度化がさらに進みました。なお、トンピオンは時計の量産化を実現したために、後に「イギリス時計産業の父」と称されることになります。

 

続いて1754年には、グラハムを師とする時計師トーマス・マッジ(1715年~1794年)が、加工の難しかった師のシリンダー脱進機に替わる「レバー脱進機」を発明。現代の脱進機にも繋がる、レバー脱進機は大量生産を可能とし、時計工業を発展させることになります。

 

時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ

マッジの活躍から約20年後、天才時計職人が現れます。スイス人のアブラアン・ルイ・ブレゲ(1747年~1823年)で、彼はフランスで職人として学ぶ傍ら、物理学をはじめ、光学、天文学、機械工学の素養も身に着けたことで「時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称され、革新的な発想と技術で、驚くべき時計を世に送り出しました。

☆ブレゲの主な発明

  • ペルペチュエル:「オートマティック」と呼ばれる自動巻き機構の実用化(1780年)
  • ミニッツ・リピーター用ゴング:音によって時刻を知らせる装置(1783年)
  • パラシュート機構:耐衝撃吸収機構。ブレゲが貴族たちの前で、わざと時計を床に叩きつけるデモンストレーションを行ったという(1790年)。
  • パーペチュアルカレンダー:日付調整が不要で、閏年まで計算してくれる機能(1795年)。
  • トゥールビヨン:重力分散装置。時計にかかる重力の影響を最小限に抑え、極限まで精度を高めるための機構(1801年)

上記以外にもブレゲは数々の発明を行い、機構を発展させたことで、「時計の歴史を200年進めた」といわれています。ブレゲの時計は、ヨーロッパ各地の王侯貴族や富裕層、エリート階級に称賛され、あのフランス王妃マリー・アントワネットも、1783年、彼に時計を依頼しています。マリー・アントワネットはフランス革命によって命を落としましたが、時計の開発は続けられ、ブレゲの死後は弟子達が製作を受け継ぎ、1827年に完成しました。なお、「トゥールビヨン」「永久カレンダー」「ミニッツリピーター」は、機械式時計の3大複雑機構に数えられています。

 

海軍の大事故が生んだクロノメーター

ブレゲらの発明が携帯できる時計(当時は懐中時計)の小型化、精巧化を促す一方で、軍の要請も時計の発展に大きく関与します。ヨーロッパでは15世紀半ばから大航海時代が始まりますが、船の衝突・遭難事故も多発していました。その原因のひとつは、船上でも緯度は太陽や北極星で知ることができたものの、「経度を測ることができなかった」からです。その状況は1700年代になっても続き、イギリス海軍の軍艦4隻が沈む大事故が起きたため、イギリスでは、「海上で経度を確定する有効な方法」を募集したのです。

 

これに応じたのが、木工職人のジョン・ハリソンです。彼は時刻と太陽の位置から経度を測定する方法に基づき、1736年、揺れる船内に長時間おいても正確に動く機械式時計「クロノメーター」を初めて製作しました。彼の時計は、5ヶ月間の航海で誤差は 1 分以内という優れた精度を実現したそうです。ハリソンはクロノメーターの改良を重ね、さらに精度の高いものとなっていきました。

 

軍の要請から誕生した腕時計

時計技術が格段に進歩した18世紀、懐中時計は一般的にも使われるようになります。19世紀に入るとさらに小型化され、またチェーンやストラップを付けた装飾品的な時計も登場。腕時計も作られていたようで、最も古いものは、1806年、皇帝ナポレオン一世が、皇妃ジョセフィーヌのため作らせたものだといわれています。ただ、精度が悪く、時計のサイズも小さく視認性に劣っていたので普及はしませんでした。

 

当初は装飾品に過ぎなかった腕時計が、実用的なものとなったのは戦争がきっかけだといわれています。1880年頃、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世がジラール・ペルゴー社(スイスに本社を置く、1791年創業の高級時計メーカー)にドイツ海軍将校用の腕時計2000個を製作させたという記録があります。これは懐中時計を腕に巻くための専用の革ベルトが付いたタイプで、量産された初めての腕時計だということです。また、第二次ボーア戦争(1899年~1902年。南アフリカ戦争、ブール戦争とも。南アフリカの支配をめぐってイギリス人とボーア人の間で行われた戦争)では、イギリス軍兵士たちが戦場で初めて腕時計を着けて戦ったといわれています。

 

腕時計の量産・普及を促したのは、第一次世界大戦(1914年~1918年)です。モールス信号や音声信号などの無線技術が導入された戦争において、作戦を確実かつ迅速に実行するには、正確な時間を把握することが必要不可欠でした。しかし、コートの下、ポケットに入れた懐中時計は取り出しにくく、いざと時に時間の確認ができない面がありました。

 

1900年代初頭、アメリカ軍の時計納入業者となった「ハミルトン(アメリカ発祥。現在はスイスのスウォッチ・グループ傘下の腕時計ブランド)」は軍用時計の生産を開始。また、「ブライトリング(スイスの腕時計メーカー。航空業界とのつながりが強く、コクピットウォッチ、クロノグラフなど主力)」は、1915年、パイロット用に30分まで計測できるストップウオッチ機能を搭載した、世界初の専用プッシュボタン付クロノグラフ腕時計を開発しています。

 

戦争用に開発された各種技術は、その後の腕時計の機能やデザインにフィードバックされていきます。さらに、社会に戻った軍人たちが腕時計を使っていたことも、腕時計の普及に拍車をかけたと思われます。ひと目で時間がわかる腕時計に対して、いちいちポケットから出さねばならない懐中時計は次第に時代遅れとなり、腕時計が主流になっていくのです。

 

日本メーカーが生んだ世界初の「クォーツ腕時計」

1913年、日本でもセイコーが日本初の腕時計「ローレル」を発売します。当時、腕時計の存在を知っていたのは、一部の軍人に過ぎませんでしたが、セイコー創業者・服部金太郎は「日本にも腕時計の時代が来る」ことを予見。1924年以降、本格的な腕時計の量産化を図っていきます。また、1969年には、クォーツ(水晶振動子)を用いた世界初のアナログクォーツウォッチ「アストロン」を発売。機械式より優れた精度でありながら、量産化による低コストを実現したため、今や腕時計のムーブメントとしてスタンダードとなったクォーツ時計は、腕時計を身近なものに変えたといえるでしょう。

 

ちなみに、イタリアの宝飾ブランドのブルガリは、「ブルガリアルミニウム」というアルミニウムを使った高級腕時計を販売しています。アルミニウムは非常に優秀な素材ですが、腕時計素材としては凹みがつきやすく製品化は難しいと言われていました。しかし、今では「ブルガリアルミニウム」はアルミならではの機能性の良さを発揮し、人気の途絶えない商品となりました。

日本軽金属も、多種多様な製品を様々なお客様のご要望に答える形で世の中に生み出してきました。アルミニウム製品のご依頼がありましたら、我々にお任せください。

 

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