コーヒーの始まりは「薬用」だった?コーヒーに欠かせないコーヒーミルの発明

2019/10/24

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人間とコーヒーとの出会いには諸説あるようです。一番古い文字の記録は、900年頃、アラビアの医師ラーゼスによるもので、彼は野生のコーヒーの種子(=バン)を砕いた煮出し汁(=カム)を「バンカム」と呼び、患者に飲ませていたといいます。ラーゼスは「コーヒーには消化や強心、利尿の効果がある」と記しており、その後、イスラム教徒の医師アヴィセンナ(980〜1037年)も同様の記述を残しています。

 

また、1258年頃、イスラム教徒のシーク・オマールがコーヒーを発見したという話があります。ある日、優秀な祈祷師だったオマールは、モカ王の娘の病気を治すのですが、彼はこの娘に恋をしてしまいました。しかし、そのことに怒った王は、オマールをオウサブという地に追放。ひもじい暮らしを続けていた彼は、ある日、美しい羽根の小鳥が木に止まり、楽しそうに囀るのを見つけます。オマールが思わず手を伸ばした木の枝先には赤い実がついており、空腹だった彼はその実を持ち帰ってスープを作るのです。それを飲むと元気が出たことから、この飲み物の評判は人々にも伝わり、オマールは町へ戻ることを許されたといいます。

 

年代は不詳(6世紀頃のエチオピアという説あり)ですが、アビシニア(現エチオピア)のヤギ飼いカルディの話も、よく知られています。カルディはヤギが牧草地に生える木の実を食べると興奮状態になることに気付き、そのことを修道院の院長に伝えます。不思議に思った院長が、その実の茹でて飲んでみると、爽快な気分になったのです。そこで修行中、居眠りをする修道僧たちに飲ませたところ、弟子たちは眠ることなく勤行に励むではありませんか。やがて、この噂は国中に広まり、カルディが見つけた魔法の木の実は愛用されるようになったのです。

 

コーヒーのルーツには、これらのような話が伝わっていますが、どうやら「眠気覚まし」として広まっていったのではないかといわれています。なお、カフェインによる興奮作用のため、イスラム寺院などでは持ち出しを固く禁じられていたそうです。

 

コーヒー豆の粉砕とトルココーヒー

今は飲み物として知られるコーヒーですが、初めの頃は生の実を石臼でつぶして団子状にして食べていたそうです。飲む場合は実と葉を煮て、その煮汁を口にしていました。そのうち豆を乾燥使用するようになりますが、煎って粉にして使うようになったのは13世紀頃からです。生豆を焙煎することにより、コーヒーの味と香りはさらに増したため、人々が競って飲むようになり、やがてイスラム教全土へと広まっていきました。1510年頃には、カイロに世界初のコーヒー店が作られ、1554年には、「カヴェー・カネス」という有名コーヒー店がコンスタンチノープル(トルコの首都)に登場します。

 

当時のコーヒーは、生豆を煎り、石臼で挽いて粉砕し、できた粉を煮出して飲んでいました。この方法は現在も残り、粉砕した粉をカップに入れてお湯を注ぐ「トルココーヒー」として親しまれています。

 

17世紀(1600年代)になると、ヨーロッパにもコーヒーが伝播します。1652年には、ロンドンに本格的なコーヒー店が誕生。コーヒーの持つ独特の味と風味は評判となり、店は多くの人で賑わったそうです。ただ、この時のコーヒーは、粉を煮だして飲むタイプでした。

 

コーヒーに粉を残さない、ドリップポットの登場

コーヒーが広まっていくにつれ、淹れ方にも変化が現われます。そのひとつが、粉末にした豆の粉を取り除くため、麻の袋に入れて煮出す方法で、これを発展させたのが、1763年、フランスのドン・マルティンが考案した「ネル付きドリップポット」です。これはポットの中にたらした布袋にコーヒーの粉を入れ、熱いお湯を注いで漉すというもので、今に続くドリップコーヒーの基本となります。

 

1800年頃には、フランスのドゥ・ベロワがマルティンのドリップポットを改良。上下2段のポットからなるこの抽出器具は、上部の底に開けた小さな穴でコーヒーの粉を濾し、下部のポットにコーヒーが落ちる仕組みになっています。この器具は、後のドリップポットの原型になりました。1908年には、ドイツのメリタ・ベンツ夫人が使い捨てのペーパードリップを発明。コーヒーを手軽に楽しめるペーパードリップは、ドイツ国内はもちろん、ヨーロッパで大成功を収め、今日では全世界にコーヒーメーカーに代表されるコーヒー関連製品を販売しています。

 

世界有数の自動車メーカーが作った「コーヒーミル」

 

コーヒー豆は、当初、石臼ですりつぶしていましたが、17世紀になると筒状の「グラインダー」が登場します。グラインダーは、「コーヒーミル」のことで、現在も両方の名前が使われています。家庭用としては、手動式と電動式が使われていますが、そのルーツはフランスの自動車メーカーでもある「プジョー」にあったのです。

 

15世紀から農業を中心に、時には町長を務めるなどして続いてきたプジョー家は、18世紀頃は、水車動力の製粉工場を営んでいました。しかし、1810年、プジョー兄弟が製粉工場の動力を利用した製鋼所を設立。斧やカンナといった大工道具、鍬などの農具、傘のフレームほか、あらゆる道具を手がけるようになります。そのひとつが、1840年に誕生したコーヒーミルです。優れた粉挽き技術を踏襲したコーヒーミルは、多くのメーカーに影響を与えたそうです。なお、プジョーのコーヒーミルは現在も現役で、独特の二重螺旋臼方式、精度の高い二枚の刃でコーヒー豆を均等に挽くことにより、香りを最大限に引き立てる逸品として知られています。また、「軸がぶれずに安定して挽くことができる」「粗さ調節が簡単」という点でも、コーヒー好きから支持されている理由だといえるでしょう。

 

プジョーと共に、世界的に有名なのは、1867年から続く、ドイツ「ザッセンハウス社」のコーヒーミルです。ドイツの職人が手作りで仕上げるコーヒーミルは、安定した性能を保ち続けることで知られ、「10年は使える」といわれています。

 

石臼から始まり、最後は製粉技術を用いた専用器具が登場。コーヒーミルの歴史は、コーヒーの飲み方の変遷にも関係していたのは、とても興味深いといえます。

 

アルミニウムとものづくりの「これから」

実は、日本でアルミニウムの製錬が開始されたのは20世紀になってからです。今では日常で使用する製品の材料としても多く採用され、我々の暮らしになくてはならないものとなりました。「軽量かつ丈夫」「耐食性やリサイクル性に優れている」などの特性を有するアルミニウムは、急速に社会に普及しました。

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