青銅器に始まる金属製食器の世界

2019/11/05

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古代人の使った器といえば、まず、土器が浮かぶ人は少なくないようです。特に日本の場合、縄文式、弥生式土器をイメージするかもしれません。しかし、世界的に見ると、人類の歴史において、土器のみならず金属器が早くから使用されています。中でも世界最初の金属器である「青銅器(銅と錫の合金)」の歴史は古く、紀元前3500年頃に遡ります。メソポタミアを含む西アジアに生まれた青銅器は、やがてエジプトにまで広がり、紀元前1500年ごろには、現在のヨーロッパ全域に伝わります。

 

青銅器の用途はさまざまで、たとえば中国古代では単なる実用品ではなく、主に祀りや儀式に用いられました。紀元前1500年頃の殷(中国最古の王朝で商ともいう。?~前1122または1027年)、それに続く周(中国古代の王朝。前1050頃~256年)の時代には、象や犀といった動物を象った「尊」と呼ばれる器で酒を捧げ、「鼎」には牛・羊・豚などの羹(スープのこと)を入れて、神に捧げたといいます。また戈・刀などの武器や工具、車馬具にも青銅器が使われるなど、時代が下ると庶民の間にも広がっていったようです。

 

なお、青銅器の原料となる錫も延性・展性があり、融点が低く扱いやすいことから、身の回りの道具に加工されました。錫器として最古のものは、エジプトの遺跡から出土した紀元前1500年頃の「巡礼者の壷」だといわれています。

 

ヨーロッパ貴族の食事は「手づかみ」だった!?

銅や錫に始まる金属精錬技術は、その後も鉄や金、銀など、さまざまな金属を生み出します。当初は武器製造が中心でしたが、技術の普及とともに、金属は農耕器具や生活用品にも用いられるようになります。食器もそのひとつで、古代ギリシャやエジプト、ローマ帝国では、銀の飲料容器、食器類が使われていました。

 

スプーン、フォーク、ナイフといった「カトラリー(食事の際に食物を取って、口に運ぶために使う器具の総称)」、一般的な金属製洋食器が普及するのは、中世以降のことです。というのも、それ以前のヨーロッパの食事は肉や魚の大皿盛りでで、スープや煮物など、水分の多い料理にはスプーンを使いましたが、基本的に王族や貴族でさえも手づかみ。フォークはあったのもの装飾品の一部、肉の切り分けにナイフを使うことはあっても、銘々で利用することはありませんでした。

 

現在のようにカトラリーが使われるようになったきっかけのひとつは、テーブルマナーにあると考えられています。13世紀にテーブルマナーの書物が世に出ると、内容はさらに細かくなり、16世紀になると本格的な専門書が登場します。テーブルマナー本を広めたのは、イタリアの名家・メディチ家のカトリーヌ・ド・メディチ(1519年~1589年)で、彼女はフランス王家に嫁ぐのですが、手づかみで食事をする人々を見てびっくり。そこで付き添ってきた料理長が、カトラリーの使い方などをまとめた本が生まれます。これが世界最初のテーブルマナー専門書だといわれ、イギリスなどヨーロッパ各地にも伝わり、テーブルマナーは広まったのだそうです。それに伴い、カトラリーの使用も増えたと考えられるでしょう。

銀のカトラリーは19世紀に入って家庭にも広まっていき、持参するのではなく、招く側が用意するようになりました。

 

「銀」が食器として使われた理由

金属製食器には、さまざまな素材が使われています。中でも最上級品は「銀食器」で、西洋では昔から富と権力の象徴でした。高貴な家に生まれることを「銀のスプーンを口にして生まれた」といいますが、子どもの誕生祝いに銀のスプーンを贈る習慣はここから始まったということです。そのため、当時の人々は自分のカトラリーを専用の箱に収めて保管しておき、宴席に持参していました。

 

富裕層や権力者が、銀を食器として使った理由は、金やプラチナ同様、希少な貴金属だったことに加え、銀の持つ性質も少なからず影響していたようです。というのも、古代ギリシャやローマ帝国の人々は、銀を「殺菌剤」「抗生物質」として利用できることを知っており、たとえば、ギリシャでは、水や飲み物を新鮮に保つために銀製の器を使い、ローマ帝国ではワインの腐敗を防止するために銀の壷を用いていました。また古代エジプトの書物にも銀があらゆる面で使用されていたことが書かれており、中世においては銀製品が富裕層を疫病から守ったという記述があります。

 

中国では、暗殺防止に「銀の箸」が使われていました。銀には毒によって変色する性質があるため、もし料理に毒が仕込まれていれば、箸の色が変わることを利用したのです。欧州においても、同様の理由で権力者が銀食器を使っていたといいます。

 

時代は下りますが、オーストラリアやアメリカの入植者たちは、バクテリアなどの繫殖を抑えるため、飲料水用の樽やタンクに銀貨といった銀製品を入れ、安全な水を確保していたそうです。

 

清少納言も使っていた?金属製の匙

日本でも古代から食器が使われており、金属食器も存在していました。最古の食器は、正倉院に保管されている、約1300年前の錫製スプーンで、これは遣唐使が持ち帰ったとされています。清少納言の『枕草子(長保3年 (1001年)頃に成立)』には、「金属の匙と食器がぶつかって、かちかちと音がする。いとおかし」と記されており、平安時代の貴族たちが日常的に金属食器を使っていたことがわかります。

 

しかし、室町時代になると、宮中から匙は消え、寺社仏閣以外では使われなくなります。その理由はよくわかっていません。ただ、江戸時代に将軍や大名の侍医が「お匙」と呼ばれていたことから、薬を扱う時などに匙を用いていたのではないかと考えられます。

 

日本で再度、金属製食器が使われるようになるのは、明治以降のことです。そのルーツは、江戸時代から金属鍛冶で有名だった「燕三条地域(新潟県)」で、現在は日本を代表する金属洋食器の産地として知られています。江戸時代の燕三条では和釘をはじめ、煙管や矢立を作っていましたが、文明開化で西洋の洋釘、紙巻タバコ、万年筆などが入ってくると、これらの需要は減少。燕三条の鍛冶産業は大きな苦境に立たされます。

 

それを救ったのが、金属製洋食器でした。新潟県で宝暦元年(1751年)から金物商を営んできた「捧吉右衛門商店(現・燕物産株式会社)」が、東京の洋食器店「十一屋商店」から洋食器の製造を依頼されて日本初となる金属洋食器を製造。これをきっかけに、燕三条では金属洋食器が行われるようになり、日本に洋食器文化が広まっていったそうです。

 

金属製食器の種類と材料

現在、日本ではさまざまな素材の金属食器が製造されています。主な材料は次の通りです。

 

・銀:一般的に純銀製品といわれる製品は、純度92.5%の銀を使用(これ以上純度を上げると柔らかくなりすぎるため)。スプーン、ナイフ、フォーク、食器、容器などに使われている。

・洋白(銀器):ニッケルと銅と亜鉛とから成る合金。比重と色が銀に似ていることから、古くから高価な銀の代用として使用されている。一般的にはこれに銀メッキを施す。銀と同じく、スプーン、ナイフ、フォーク、食器、容器などに用いる。

・ステンレス:主成分は鉄で、添加されるニッケル、クローム、炭素の量によって等級や用途が分かれる。スプーン、ナイフ、フォークなどの素材として、最も多く使用されている。

・アルミニウム:軽量で耐食性(酸化被膜による)があり、加工性にも優れているので、合金などの形でも広く利用されている。ジュース、ビールの容器を中心に、鍋ややかんといった調理器具、食器としてはキャンプなどのレジャー用などに使用。

・銅:比較的軽量で、耐食性、加工性があるため、合金としても用いられている。熱伝導率が高いので、鍋、やかんなどの調理器に用いられるほか、食器にも使われている。

・鉄:水分や塩分に接すると錆びが出やすく、メッキをかけても長期の使用が難しいことから食器として使われることは少ない。

 

なお、正式な晩餐会などで使用される金属カトラリーの多くは、「銀」「洋白」製です。燕三条地域では、歴史に裏打ちされた金属鍛冶、金属洋食器・金属ハウスウェア作りのノウハウを利用して、さまざまな製品を産み出しています。大正初期、捧吉右衛門商店が作った日本初のカトラリー「月桂樹」は、100年以上経った今でも販売されているベストセラー商品だそうです。

 

「時代が求める金属」としてのアルミニウム

銅などは耐食性、加工性が優れているという点でアルミニウムと同じように合金としても用いられています。では、アルミニウムの強みとは何でしょうか?アルミニウムの金属としての大きな強みとして「リサイクル性に優れている」という特徴が挙げられます。今後資源の有効活用というテーマは製造業界全体で考えていかなければならない問題でもあります。日本軽金属グループはアルミニウムのリサイクル性を活かした素材開発においても豊富な知識と経験を有しており、人々が持続的に幸福を享受できる社会の実現に貢献することを目指し、日々研究と開発を繰り返しています。アルミニウム製品についてのご相談は、ぜひShisaku.comへ。

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