ものづくりのプロでも意外と知らない「クーラーの始まり」の歴史とは

2019/11/11

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暑さに対する先人たちの知恵

近年、日本の夏は、35℃超えの猛暑日も珍しくなくなりました。日々、熱中症への注意勧告が出され、専用飲料水や日傘、携帯用扇風機など、様々な対策グッズも販売されています。中でも主役となっているは、やはり「クーラー」です。なお、冷房機は「クーラー」または「エアコン(エア・コンディショナー、エア・コンディショニングの略)」と呼ばれていますが、これらは違うものです。というのも、「クーラー」は、文字どおり「冷房機能」を備えた装置のことを指し、暖房機能はありません。一方の「エアコン」は温度や湿度を調整する機能を有する装置で、一般的に冷・暖房両用になっています。ちなみに両用タイプが登場したのは1960年(昭和35年)のことで、それまではクーラー機能のみだったことから、今でもエアコンを「クーラー」と呼ぶ人も少なくないようです。

 

冷房のない時代、先人たちは、どのように夏を過ごしていたのでしょうか。古代の書物や資料には、当時の生活の様子が書かれていますが、「木陰に入る」「暑い時は仕事をしない(朝夕働いて、暑い時間帯は昼寝をする)」「身体を冷やす食べ物を摂る(逆に辛いものを口にして、発汗する」といった工夫をしていたようです。たとえば、古代ローマでは、のどの渇きを潤すため、「ポスカ」と呼ばれる、お酢を水で割りハーブを加えた飲み物が飲まれていました。これは兵士や下層民が飲んでいたようですが、遠征中のカエサル(紀元前100頃~紀元前44年。英語名ジュリアス・シーザー。古代ローマの将軍・政治家)も口にしたそうです。

 

今でも活用「江戸時代の暑さ対策」

古代人は、地面を70~80cm(地域によって異なる)掘り下げ、柱を立て、カヤなどの草などで覆った「竪穴式住居」に住んでいました。シンプルな造りでありながら、「半地下構造(地下に穴を掘って部屋等を設けること)」だったため、一年を通して温度を一定に保つことができ、意外と夏は涼しく、冬は暖かだったといわれています。

 

日本の夏は「高温多湿」で、暑いことに加え、湿度が高いのが特徴ですが、それは現代だけではなかったようです。鎌倉時代の歌人で随筆家の吉田兼好(兼好法師とも。弘安6年頃(1283年)~文和1/正平7頃(1352年)は、『徒然草』で「家の作りやうは、夏をむねとすべし~暑き比(ころ)わろき住居(すまい)は、堪へがたき事なり(家を作るなら、夏を中心にしたほうがよい~暑いときに、過ごしにくい住まいは堪えがたい(意訳)」という一節を残しています。今風に言えば、「冬の寒さは火や厚着でなんとかしのげるが、夏の蒸し暑さはどうにも耐えられない。だから、住まい作りは、暑さ対策が基本である」ということで、兼好も日本の夏に辟易していたのかもしれません。

 

江戸時代になり、世の中に平和が訪れると、暑さ対策も多様化します。装飾や儀式、戦に使われていた貴族の扇や武将の軍配などは、送風の道具に変わっていきました。有名な「丸亀うちわ」が作られるようになったのは、寛永10年(1633年)だという説があり、木版技術の向上も手伝って量産が可能になったといいます。そのため、幅広い層が利用することができたようです。また、江戸時代末期には、筒にうちわを6枚付けて手回しで風を送る「人力扇風機」も登場。ただ、あまり普及はしなかったといいます。

 

今でいう、冷たいスイーツも暑気払いの定番でした。それは、井戸水をくみ上げ、砂糖水にして白玉を乗せた「冷水売り」という食べ物で、4文(江戸時代中後期において1文は約12円)程度だったそうです。京都や大阪はもちろん、江戸ではところてんも売られていました。

 

また、江戸では大川(隅田川)に屋形船などを出して川涼みをしたり、京都の鴨川には「納涼床(中州や浅瀬に床で座敷を作り、そこで涼をとる)」ができ、夏の暑さをしのいだそうです。お馴染みの「打ち水」は町のあちこちで行われ、夕方になると水を撒き、そこに縁台を出してのんびり涼みました。

 

人力ではない、動力(電動)による初めての扇風機が発売されるのは、1893年(明治26年)のこと。アメリカのウェスティングハウス社が販売した扇風機は、モーターにプロペラのような羽を4枚付けたものでした。何と、この翌年(明治27年・1894年)には、外国技術を導入し、早くも国産扇風機1号機が発売されます。この扇風機は、直流エジソン電動機の頭部に白熱電球を 組み込んであったため、スイッチを入れると白熱電球も点灯したそうです。ただ、技術面や使い勝手においては、高価な海外の扇風機にはかないませんでした。その後、大正5年(1916年)、低価格で品質の優れた「芝浦扇風機」が製造され、大正7年(1918年)には、国産扇風機の量産も開始。扇風機は人気の家電になり、年を追うごとに性能が向上。現在もクーラーと並び、日本の夏に欠かせないものとなっています。

 

クーラーの仕組みを作った先人たち

クーラーの前身となる「空気調和機」の商業利用が始まるのは、扇風機の販売が始まって約10年後のことです。その基本原理のひとつとなるのが、アメリカの発明家・科学者・政治家として知られるベンジャミン・フランクリン(1706~1790年)と英国ケンブリッジ大学のジョン・ハドリー(1731年~1764年)の実験でした。フランクリンは電気の研究を行い、雷が電気現象であることを証明し、1749年に避雷針を考案したことでも有名です。1758年、二人は蒸発の原理(蒸発熱)を用いて物体を急速に冷却する実験を行います。そこでアルコールといった揮発性の高い液体の蒸発を試し、エーテルを使うと物体を氷点下にまで冷却できることを発見したのです。フランクリンは「この実験により、暖かい夏の日に人間を凍死させられる可能性があることがわかった」と結論付けました。

 

続く1820年、イギリスの化学者・物理学者であるマイケル・ファラデー(1791年~1867年)は、圧縮により液化したアンモニアを気化すると、周囲の空気を冷却できるということを発見しました。ファラデーは、これだけでなく、「ファラデーの電磁誘導の法則」をはじめ、電磁気学、電気化学の分野で貢献し、科学史上、最も影響を及ぼした科学者の1人とされています。

 

ファラデーの発見から30年後、フロリダ(アメリカ)の医師ジョン・ゴリー(1802~1855年)は圧縮技術を用いた製氷機で氷を作り、自分の病院で患者のために病室を冷やします(当時は、悪い空気が病気を引き起こすという理論が一般的だったため)。彼は建物全体、都市全体の温度を調節、空調を集中制御するという構想を抱いていましたが、うまくいきませんでした。ただ、1851年、ゴリーは製氷機で特許を取得しています。

 

現代のクーラーにつながる発明をしたのは、アメリカの技術者・発明家のウィリス・ハヴィランド・キャリア(1876~1950年)です。彼はカーネル大学電気工学科を卒業後、1901年、当時、アメリカの三大ファンメーカーであったバッファロー・フォージ社に

入社。1902年、ニューヨークのサケット・ウイルヘルムズ印刷工場の湿度調整の仕事が、彼のところに持ち込まれました。当時の印刷工場は多色印刷を始めており、室内の湿度の変化で紙の伸び縮みが起こり、印刷がうまくいかなかったのです。室内の相対温度を一定に保つことを要求されたキャリアの「電気式エア・コンデショナー」は、温度だけでなく湿度の制御も可能。温度と湿度を低く保つことで、紙の状態を一定になり、インクの付きもよくなりました。彼の発明は、以後、空調技術の発展に大いに貢献。さらに改良と実地試験を重ね、1906年、キャリアは自身の発明の特許を取得し、世界初の噴霧式空調装置(水を加熱したり冷却したりすることで加湿と除湿ができる)を世に送り出します。

 

キャリアが特許を取得した1906年、アメリカのスチュアート・W・クラマーは、自分の織物工場内に湿気を追加する方法を模索。加湿と換気を組み合わせ、工場内の湿度を制御し、最適な数値にすることを実現。特許出願の際、初めて「エア・コンディショニング(空気調和)」という言葉を使いました。これは先述したように「エアコン」の語源になっています。

 

黎明期のエア・コンディショナーや冷蔵庫は、アンモニアやクロロメタン、プロパンなどの有毒または可燃性のガスを使用。もし、それらが漏れ出すと死亡事故に繋がる危険性がありました。そのような中、1928年、アメリカの工業化学者であるトマス・ミジリー(1889~1944年)は、毒性や可燃性のある冷媒に代わる物質の研究を依頼されます。そこで開発されたのが、世界初のフロン類である「フレオン」でした。この冷媒は人間には安全でしたが、後にオゾン層にとっては有害だということが判明します。

 

現在は特定フロンや代替フロンなどが使われていますが、オゾン層破壊、地球温暖化の原因になっていることは否めません。クーラーや冷蔵庫には必要な冷媒とはいえ、未来の地球環境を守るため、空気調和テクノロジーにおける技術開発は続いています。

 

様々な研究や発明から生まれたクーラーの仕組み

クーラーは、このような先人たちによる実験や研究、発明から生まれました。基本は「熱交換器」という装置で、ボイラー、蒸気発生器、復水器、空調機、車両用など、さまざまな工業製品に使われています。これ、は一般的に熱が温度の高いところから、低いところへ流れる性質を利用し、「温度の高い流体から低い流体へ熱を移動させる機器」で、 液体や気体といった流体のエネルギーを効率的に移動、交換することで、加熱や冷却を行っています。

 

熱交換器の仕組みの基本は、液体と気体の性質にあります。液体は気体に変わる時(蒸発)時、周囲の物体から熱を吸収しますが、蒸発温度が低く、圧力が低いほど熱の吸収は大きくなります。逆に気体が液体に変わる(凝縮)際には熱を放出するのですが、高い圧力で冷却すると凝縮しやすく、かつ放熱は大きくなることがわかっています。

 

たとえば、夏に汗をかいた後、空気に当たるととても涼しく感じたり、アルコールで手を拭くとひんやりするのは、水やアルコールという液体が蒸発し、気体になる時に周囲から多量の熱を奪うからなのです。

 

クーラーは、このような流体の性質を利用して部屋の温度調節を行っています。ここからはエアコンとして、温度調節の仕組みを説明していきましょう。エアコンは室内機と室外機で構成されており、この間を結ぶ冷媒配管の中を流体(冷媒ガス)が循環しています。室外機の減圧器で低温の液体になった流体は室内機に入ると、室内の熱によって気体となります。この時、気化熱が発生。ファンで吸い込まれた室内の空気の熱を奪うことで、冷やされた空気が室内機から送り出されるのです。気化した流体は室外機に戻り、圧縮器で高温の気体となります。その後、室外機の熱交換器を通過する際、ファンによって冷却されるため屋外に熱を放出することで液体に戻ります。その液体が再び室内機に送られるというのが、冷房(クーラー)の仕組みです。

 

暖房はこれの逆で、外の空気の熱を吸収し、室外機の圧縮器で高温の気体となった冷媒が室内機に送られます。気体によって温められた熱交換器は、ファンで室内に熱を放出。これにより、室内機から暖かい風が出るのです。部屋の空気熱は冷媒ガスによって室外機に送られ、外へ放出。この循環によって部屋の温度調節を行っているのです。なお、熱交換器には、「シェル&チューブ型(多管式熱交換器)」「フィンチューブ式熱交換器」「スパイラル式熱交換器」などの種類があります。

 

日本軽金属グループの日軽熱交株式会社では、Modine社(米国)と共同で1988年、世界に先駆けてオールアルミ製の熱交換器の量産化に成功しました。現在はこのコア技術を自動車をはじめ、電気電子分野、空調分野、産業分野へ展開しています。アルミニウムは軽く熱伝導性の良い材料であり、この特長を最大限に活かすことで、省エネルギーにつながっています。製品の軽量化、熱対策などのご相談がございましたら是非Shisaku.comまでお問合せ下さい。

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