ファッションだけではない。「実用性」をも求めたハイヒールの歴史

2019/11/14

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古代人の履いた靴を現代人も履いている?

人類が直立を始め、現代人とほぼ同様の姿になったのは約3万年前だと考えられています。生活圏も広がり、長い距離を移動することも多くなる中、暑さや寒さから身を守る衣類、歩くときに石や熱くなった砂から足を保護するための靴が作られるようになりました。現存する最古の履物としては、1938年、アメリカのオレゴン州中部「フォートロック洞窟(1万年以上前に人類が暮らした痕跡のある遺跡)」で発見された1万500年前の「サンダル(語源はギリシャ語でsandalion(板の意))」が有名です。これは樹皮からとった繊維を編んで作られたもので、日本のわらじとよく似ています。

 

発掘された遺物の中でも、最も古い皮靴は、2008年、「アルメニアの洞窟(アルメニア国はトルコとアゼルバイジャンの間にあった国)」で発見された革靴で、紀元前3500年頃のものだといわれています。片方だけ見つかった靴は1枚の牛皮(この技法は「一枚甲」と呼ばれるもので、今でも高価な靴で用いられている)で作られており、今でいう「モカシン(アメリカの先住民が履いていた、一枚革で作られた靴)」に似た形状。靴のサイズは約24.5cmですが、持ち主が男性か女性なのかはわかっていません。また、1991年、オーストリア・イタリア国境のアルプス山中で見つかった、紀元前3000年頃(新石器時代末期)の男性のミイラ「アイスマン(エッツイ)」も靴を履いており、ヒグマとシカの皮で作られたものでした。

 

古代エジプトでも、貴族や王は、主に牛や山羊、羊の革でできた「サンダル」を履いていました。初期の頃は白色でしたが、その後は黄色や緑色、まれに青色に染めたサンダルが作られたそうです。発掘された紀元前2000年頃の革製サンダルは、現在の草履に似た長い鼻緒が付いたもので、ルクソール神殿の側壁にも、サンダルを履いた神官達の絵を見ることができます。また、ツタンカーメン王(在位紀元前1361頃~前1352頃)の墓からも、木に皮を貼り付け、金箔で装飾したサンダルが発見されています。

 

なお、古代中国では、水田に足をとられないように「田下駄」を用いていました。最古の田下駄は紀元前3000年頃のもので、日本でも200年頃(弥生時代後期)の遺跡から田下駄が出土しています。

 

サンダルや下駄などは、今も当時と近い形で、使用され続けられているわけですから、古代人の履物は画期的な発明だといえるでしょう。

 

悲劇役者の舞台衣装がハイヒールのルーツ?

壁画や発掘品を見る限り、古代人は「フラットヒール(靴底の前部と後部との高低差が少ないタイプの靴)」の靴やサンダルを履いていたようです。しかし、文明の発達や階級制度の確立などに伴い、実用性の高いフラットなものだけでなく、祭りや儀式などで、衆目を集めることのできるデザイン性豊かな履き物が作られるようになります。たとえば、古代ギリシャで演劇では、観客が鑑賞しやすいよう、また上演の際に身長を高く見せるため、役者たちは「コトルノス」という舞台用の厚底靴(ブーツ状)を履いていたそうです。なお、悲劇役者に用いられたコルトノスに対し、喜劇に出演する役者は「サイコス」と呼ばれる底の薄い靴を履いていました。なお、サイコスは英語のソックス(靴下)の語源で、sykhosからラテン語のsoccus(ソッカス)となり、socksに変わっていったようです。

 

底の厚い靴は、役者同様、背を高く見せたい紀元前400年代のギリシャ、アテネの遊女たちの間で流行し、男性を含む市民も利用したといいます。今でいえば、さしずめ「シークレットシューズ」だったのかもしれません。

 

衛生事情が生んだ、最高30cm?のハイヒール

時代が下り、14~15世紀頃になると製靴技術も進み、様々な種類の靴が登場します。当時のニーズの多くは、やはり古代ギリシャ、ローマ同様、「背を高く見せるための靴」だったようです。中世ヨーロッパにハイヒールが広まったきっかけは、1530年頃、背の低いことに悩んでいたカトリーヌ・ド・メディシスが、イタリアからフランスのアンリ2世に嫁ぐ際、ハイヒールを持ち込んだことに端を発します。また、15世紀あたりからは、イタリアやスペインで、長いスカート時に着用した厚底の靴、「チョピン」が貴族や上流階級の女性、高級娼婦の間で流行り始めます。これはあらかじめ短靴を履き、高い台座に足をのせて使う「つっかけ」のようなもので、木やコルク、足付きの鉄輪などでできていました。かかとの高さは13~18cmもあり、中には30cmにおよぶものもあったそうですが、中世のお洒落な女性たちは、少しでも背を高く見せようとチョピンを利用したといいます。表面は絹やビロード、銀のレースといった豪華な布地や皮革でおおわれ、精巧な刺繍や浮彫を施したものもあり、とても高価なものでした。ただ、転倒する人も少なくなかったため、禁止令も出たそうです。

 

チョピンもハイヒールのルーツのひとつとされていますが、その用途は身長を高く見せ、スタイルアップするだけではありませんでした。というのも、当時のヨーロッパには下水がなく、おまるのような物に用を足して、窓から投げ捨てる、植え込みや木陰などの屋外で用を足していたため、町中にはゴミや糞尿といった汚物が溢れていたからです。チョピンには、それらを避ける役割もあったといわれています。このような背景から、やがてロングスカートの裾を汚さないため、接地面積の少ない靴、後のハイヒールが考案され、広まっていったのです。

 

フランスの「太陽王」も愛用したハイヒール

背を高く見せる一方で、汚物を避ける役割を果たしていた厚底靴を「ファッションアイテム」にしたのは、ブルボン朝の最盛期を築き「大王」「太陽王」と呼ばれたフランス国王ルイ14世(1638~1715年。在位1643〜1715年)です。彼は背が低かったためにヒールの高い靴を愛用しており、その高さは約5〜6cm。ヒールの付け根が太く、中ほどはくびれ、下に向かって広がるような形状は「ルイヒール(ルイ・フィフティーン・ヒール)」と呼ばれ、現代の靴にも見られるほど、一般的なデザインになっています。ちなみにルイ14世の肖像画には、ルイヒールを着用している姿を描かれたものがあります。

 

国王が愛用したことも手伝って、当時は女性だけでなく、貴族男性もこぞってかかとの高い靴を履いたそうです。ただ、フランス革命(1789年に始まり、1799年、ナポレオン1世の独裁に至るまでのフランスの市民革命)後、ナポレオン戦争で各地に国民軍が創設されると、男性は戦場で動きやすい、実用的かつ機能的な靴を履くようになります。そのため、ハイヒールは女性の履物へとシフトしていきました。

 

航空母艦用の技術を応用した「スティレット・ヒール」

その後、製靴技術が進歩し、様々な素材が用いられるようになると、ヒールの高さや靴の形状は多様化していきます。現在、シューズショップでよく扱われているのは、「ハイヒール」をはじめ、「ピンヒール」「フラットヒール」「チャンキーヒール」「コーンヒール」「ルイヒール」「キューバンヒール」「ウェッジヒール」「ピナフォアヒール」「セットバックヒール」「スタックドヒール」などの靴です。時代によって流行は変化しますが、女優といったセレブが影響を与えることもあります。

 

そのひとりがマリリン・モンローでしょう。映画『七年目の浮気』(1954年)の中に、地下鉄の通気口から吹き上がる風によって、マリリンのスカートが浮き上がる有名なシーンがあります。その時、彼女が履いていたのは、「スティレット・ヒール」。同じくかかとの部分が細く鋭く尖った「ピンヒール」に似ていますが、さらに尖った針のようなヒールが特徴です。なお、このヒールは、航空母艦用に発明された新素材と技術を応用したものだといわれています。アルミニウムを採用して、金属とプラスチックを接合する射出成型が誕生したことから、これだけの高いヒールが実現できたのだそうです。

 

歩きにくいこともあり、スティレット・ヒールは1970年代には廃れていきます。とはいえ、背を高く、脚元をセクシーに魅せてくれる「ハイヒール」や「ピンヒール」が、今でも女性の憧れであることに変わりはありません。その反面、履き慣れていない人にとっては歩きづらく、無理して履き続けると足の健康障害を引き起こす原因になりますから注意も必要です。

 

参考文献

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