化学界のイノベーションが衛生問題を解決|「石鹸の始まり」の歴史

2019/12/12

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石鹸は焼肉から偶然に生まれた?

石鹸の歴史はかなり古く、そのルーツは紀元前3000年頃のメソポタミアにまで遡ります。それ以前は、粘土や灰汁、植物の油や種子などで洗濯・洗浄を行っていました。当時のことが書かれたシュメール(古代バビロニア南部の地名。また、そこに住む民族)の粘土板に石鹸の製法と石鹸が羊毛の洗浄に使われたことが記されており、これがもっとも古い記録だと考えられています。石鹸の原型は、木灰に油や粘土、砂を混ぜて作られており、塗り薬や織布の漂白洗浄にも利用されていたそうです。

 

シュメールの粘土板と同じ頃、古代ローマでも石鹸の原型が発見されます。当時のローマでは、「サポー(Sapo)」という丘の神殿に羊を焼いて、神にささげる風習がありました。この時、あぶった羊からしたたり落ちた脂と木の灰が混ざり、土に浸みこんで石鹸のようなものができたといいます。それまでは灰汁を使ったり、水洗いで洗濯をしていた人たちは驚き、「汚れを落とす不思議な力のある土」といって、これを珍重したそうです。ちなみに英語で石鹸を「ソープ(Soap)」というのは、この丘の名前に由来するといわれています。

 

なお、1世紀になるとプリニウス(23~79年。古代ローマの将軍・博物学者。大プリニウスとも)が『博物誌(古代ローマの理科全書。全37巻。当時の博物学の集大成)』に、また2世紀になると、マルクス=アウレリウス帝の侍医を務めた、ローマの医師ガレノス(129頃~200年頃)も石鹸の記述を残しています。ただ、石鹸の使用はごくまれなことだったようです。また、旧約聖書にも「石鹸」のことが書かれていますが、石鹸ではなく灰汁(アルカリ水溶液)であったと考えられています。

 

フランス国王が保護した「マルセイユ石鹸」

偶然の産物として登場した石鹸が本格的に作られるようになったのは、草や海藻を焼いた灰に含まれるアルカリ成分と油脂が反応すると、石鹸ができると分かったことがきっかけでした。8世紀頃のエスパニア(現在のスペイン)やイタリアでは、動物性脂肪と木や海藻の灰を混ぜた「軟石鹸(軟らかい石鹸)」が作られるようになります。ただ、かなり臭いものだったようです。

 

12世紀頃になると、現在の石鹸に近いものが登場します。地中海沿岸で採れるオリーブ油と海藻の灰を原料とした「硬石鹸(硬い石鹸)」が作られるようになりました。これは今の石鹸に近いもので扱いやすく、軟石鹸とは違い、嫌な臭いもしなかったため、ヨーロッパで人気を呼んだといいます。石鹸製造が盛んだったのはフランスのマルセイユやイタリアのサボナ、ベネチアなどでした。なお、サボナはフランス語の石鹸=サボン(savon)の語源だといわれています。

 

中でも、地中海物資の集積地だったフランスのマルセイユは石鹸工業の中心地でした。ここで作られた「マルセイユ石鹸(日本でも古くから使われている「マルセル石鹸」は、この名にちなむ)」は特産のオリーブ油と海藻灰を主原料とし、品質に優れ、水に溶けやすかったため、生糸の精練、絹や毛織物の洗濯などに用いられたそうです。さらに16世紀初頭、フランスではリネン(亜麻)工業が盛んになり、石鹸の需要が増大して生産にも拍車がかかります。

 

17世紀になると、マルセイユは高級石鹸の産地として確固たる地位を確立しました。しかし、その一方でマルセイユ石鹸の名をかたる粗悪品も作られるようになります。それを知った当時のフランス国王ルイ14世(1638~1715年。在位1643~1715年)は、1688年に厳しい製造基準を設け、次のような王令を発布したのです。

 

・暑さにより石鹸の密度が損なわれる6、7、8月の石鹸製造は禁止。

・5月1日以前はオリーブの実が未熟すぎるので、最終搾りのオリーブ油を使用する。

・オリーブ油以外の原料油脂を使うことを禁止する。違反者は石鹸を没収する。

 

フランスでは、王令を遵守した石鹸のみを「マルセイユ石鹸(サボン・ド・マルセイユ)」と認可し、これに違反した業者には厳しい処分を行いました。国が認め、「王家の石鹸」とも呼ばれた「マルセイユ石鹸」は品質の高さも手伝って、貴族や上流階級の人々に愛用されたそうです。

 

石鹸の大量生産に成功した科学者の悲劇

18世紀の後半になると、産業革命によって織物工業が急速な発展をとげる中、原糸を洗ったり、織物についたロウなどの不純物を洗い落としたりするためには、多くの石鹸が必要でした。しかし、石鹸の原料となるソーダ(ナトリウム)は、ガラスの原料としても使われていたため、海藻灰や木灰だけでは不足し、生産が追い付かなくなったのです。特にマルセイユ石鹸の産地フランスでは、スペインとの王位継承戦争でスペイン産ソーダの輸入がストップしたため、事態はさらに深刻でした。

 

そこで、フランス科学アカデミーは、1775年、海の塩を利用して人工的にソーダを作る方法を高額の賞金をかけて募集します。というのも食塩にソーダの成分が含まれていることは周知されていたからです。多くの人がこれに取り組む中、その発明に成功したのが、化学者でオルレアン公(ルイ・フィリップ2世ジョゼフ。1747年~1793年)の主治医を務めていたニコラス・ルブラン(1742 ~1806年)です。彼は食塩と硫酸から作った硫酸ナトリウム(ルブラン芒硝)に石灰石や木炭を混ぜて焼いた後、それを洗って、水に溶け出した成分を濃縮し、炭酸ソーダの結晶を取り出すことに成功します。石灰や木炭という手頃な材料でソーダを作ることを可能にしたルブランの発明は「ルブラン法(ルブランソーダ法とも)」と呼ばれ、これはソーダ工業化の第一歩となりました。

 

ルブランは1791年に特許を取得して工場を建設しますが、時代はフランス革命の真っただ中。ソーダの生産も軌道に乗らず、1793年にオルレアン公が刑死すると工場は没収されてしまいます。1800年、工場は返還されるのですが、ルブラン個人で再建することはできませんでした。資本金の交付を求めたものの、その額は少なく、1806年、絶望したルブランは自ら命を絶ってしまいました。

 

しかし、ルブランの彼の発明を用いたソーダ製造工場が各地に建てられたことで、織物、石鹸、ガラスなどの大量生産が可能になります。一般庶民に手に入りにくかった石鹸が普及したことから、伝染病や皮膚病の発生が大幅に減ったそうです。

 

「アンモニア・ソーダ法」の発明で学問・科学の発展に尽力

19 世紀後半、新たなソーダ生成法が発見されます。当時は製鉄業が盛んで、石炭から製鉄用コークスを生産する際、アンモニアが豊富に得られることがわかり、これを利用すればソーダが作れることは、すでに知られていました。ただ、多くの人が生成にチャレンジしたのですが、いずれも失敗。これに成功したのが、これに成功したのが、ベルギーの化学技術者アーネスト・ソルベー(エルネストとも。1838~1922年)です。

 

ソルベーは父親が経営する製塩業を手伝うかたわら、物理や化学を独学で習得。1859年、叔父スメーの経営するガス会社に入り、ガスの洗浄液からアンモニアガスや炭酸ガス等の成分を回収する研究を行っていました。あるとき彼は、食塩水にアンモニアガスと炭酸ガスを含む水溶液に炭酸ガスを吹き込むと、炭酸水素ナトリウム(重曹)が生成することを知り、これを焼いてソーダを作る方法「ソルベー法」を生み出したのです。ソルベーは1861年に特許をとり、ソーダ灰製造の工業化に着手。1863年にはソルベー社を設立し、1865年に操業を開始します。ルブラン法に比べて低い温度で反応するため燃料が節約でき、また、反応の工程で生ずるアンモニアや炭酸ガスを回収して再利用することにより、安価で品質の高いソーダを作ることができるソルベー法は、ソーダ工業を発展させると同時に、

19世紀の化学工業界に大きな変革をもたらしたのです。

 

この成功により、ソルベーは巨万の富を得ます。彼はその財力で各種慈善事業に多額の出資を行うほか、1894年には私財を投じて「ブリュッセル社会科学研究所を設立。一流科学者を集めてソルベー会議を開催するなど、学問や科学の発展に尽力しました。

 

その後、塩水を電気分解する「電解法(電解ソーダ法)」という技術が登場。現在でも、この方法によってソーダが製造されています。電解法は「隔膜法」「水銀法」「イオン交換膜法」に大別され、日本ではイオン交換膜法(1999年10月現在、すべてイオン交換膜法に転換済み)を用いて、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)と塩素が作られています。ソーダ工業の進歩は様々な化学製品を生み出したことはもちろん、石鹸製造にも影響を与え、安く大量生産を可能にしたことで、誰もが気軽に石鹸を使えるようになりました。

 

生活に欠かせない多種多様な石鹸

現在、利用されている石鹸は、基本的に成分や用途、性状、製法などによって分類され、主に次のようなものがあります。

  •  硬石鹸:固体状の硬い石鹸で材料はナトリウム塩。化粧用、浴用として使用。
  • 軟石鹸:脂肪酸のカリウム塩。通常やし油、またはその脂肪酸、オレイン酸系を使用。液状で主に手洗いに利用されている。
  • 洗濯石鹸:純石鹸に近いものから助剤を多く含むものまで種類が多い。形状も固形、粉末、液状などさまざま。
  • 薬用石鹸:主な目的は殺菌。体臭や汗臭、にきびなど、細菌性疾患を予防。
  • ドライクリーニング用石鹸:オレイン酸カリウム、オレイン酸アンモニウム、トリエタノールアミン石鹸などを利用(ドライの場合は、水の替わりにパークロロエチレンなど数種類の溶剤で洗濯する)。

このように、今や生活に欠かせない石鹸を、安価でたくさん作れるようになったのはルブランとソルベー、二人の化学者の大きな功績だといえます。大成功をおさめたソルベーに対し、ルブランは時代に翻弄されてしまいましたが、彼の仕事が化学工業の発展に寄与したことは永遠に語り継がれるでしょう。

 

参考文献

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