2019/12/23
古代から人間は、様々な手段で危険や突発的事変を伝えてきました。文明が発達する以前は、「大声を出す」「木を叩く」「ほら貝を吹く」など、音を出すことが中心だったといわれています。世界各地で文明が発達すると、遠くにいる相手と意思の疎通を図るため、火や狼煙(煙)、旗、鐘なども用いられます。やがて、これらの媒体には言語に代わる符号や意味が付加され、より詳しい情報が送れるようになりますが、これが信号の始まりです。
中でも積極的に信号が利用されたのは、海上だといえます。無線のない時代、広い海の上では、風や波の影響で音は聞こえにくく、お互いの場所や周辺の状況を伝えるのは難しいことでした。そこで船と船、船と陸との連絡に、手旗信号や発火信号など、目に見える通信方法が用いられたのです。信号旗を用いた最も古い例として、紀元前 480年の「サラミス海戦」(アテネの沖合のサラミス島付近で、アテネ海軍が三段櫂船を駆使してペルシア海軍を破る)が知られています。
手旗信号は船乗りが考えだしたものといわれ、11世紀にはカンテラによる発光信号、トランペットによる音響信号が使われていました。旗のみならず、帆、砲も利用されるようになり、コロンブスやマゼランの航海記録には、帆のあげ方、マストや張り綱などで通信をしたことが記されています。
一方、陸路は徒歩での移動がほとんどで、馬や馬車、牛車、輿(こし)、駕籠(かご)などを使えるのは、ひとにぎりの権力者や上流階級の人間だけでした。ただ、江戸時代になると、参勤交代が制度化され、それに伴い物流も盛んになり、大きな街道や江戸の市内は人だけでなく、荷物を載せた大八車、運搬用の牛車も行き交ったといいます。そのため、荷車が人と接触する交通事故(?)も少なくなかったようです。事態を重く見た幕府は、正徳6年(1716年)、交通法規を発布します。しかし、故意でなければ罪が軽かったせいか、交通事故は減りません。そこで八代将軍・吉宗の時代、「公事方御定書(江戸幕府の刑事関係成文法規。寛保2 (1742) 年に完成)」において、交通事故で死亡事故を起こした場合は、たとえ過失でも流罪、状況によっては死罪を申しつけることになりました。
とはいえ、「馬の速度制限」「横断者が優先」といった、今でいう道路交通法のような、通行を制限する項目はなかったようで、役人が定期的に交通整理をすることもありませんでした。
1825年、ジョージ・スチーブンソン(1781年~1848年。英国の土木技術者、機械技術者)が、世界初の公共鉄道「ストックトン&ダーリントン鉄道」を開通。蒸気機関車を使った営業用貨物輸送の実用化に成功したスチーブンソンは、「鉄道の父」とも称されています。続く1830年、イギリス最大の貿易港リバプールと、イギリスの一大工業都市マンチェスターの約50kmを結ぶ、「リバプール・アンド・マンチェスター鉄道」が開業。これは世界初の旅客用鉄道で、有名な都市をつないだことで大いに賑わい、「黄金ルート」と呼ばれました。
鉄道黎明期は列車速度が遅かったこともあり、信号機は備えられておらず、機関士は自分の注意力に頼って列車を運転したといいます。また、機関車に先行し、馬に乗った旗振りが走ったこともあったそうです。しかし、列車速度が上がり、線路の分岐も増えてくると、列車の安全を確保することが難しくなってきました。そこで採用されたのが、「レールウェイ・ポリスメン(オフィサーとも)」という見張り番です。彼らは鉄道の要所要所に配属され、手合図で「無難(進行。片手を水平に上げる)」、「注意(片手を真上に上げる)」、「危険(停止。両手を真上に上げる)」を指示したといわれ、これが鉄道信号の始まりだとされています。
その後、ボールを紐でつるし、高い位置にあると「進行(ハイボール)」、低い位置にあると「停止(ローボール)」を表す「ボール信号機」が登場。ちなみに「ハイボール(ウイスキーのソーダ割)」の語源は、機関士達が「ハイボール(出発進行)!」と言って乾杯したからだとの説があります。1840年代に入ると、ワイヤーや鉄管で柱にとりつけた腕木を動かし、その角度で「進行」や「停止」(場合によっては「注意」も)を示す「腕木式信号機」がイギリスで発明されました。
鉄道では、列車を安全に走行させるため、ボール信号機や腕木式信号機といった「機械式信号機」、また手旗(赤の旗が停止、 緑の旗は注意して前進することを示した)、 夜間であれば、ランプを用いるなどしていましたが、馬車の行き交う道路において、信号機は使われていませんでした。19世紀のロンドンでは馬車による交通事故が多発しており、1866年には1000人以上が死亡し、1300人を超える市民が負傷していたのです。このような状況を改善するため、馬車による交通を規制し、事故数を減らすための信号システムを提案した人物が、イギリス人のジョン・ピーク・ナイト(1828年~1886年)。彼はノッティンガム高校卒業後、ダービー駅の荷物室で勤務し、20歳でロンドンにある鉄道会社の鉄道エンジニアとなっています。1868年、ナイトはウェストミンスターブリッジ近辺に、灯火方式を用いた世界初の信号機を設置。鉄道信号灯に基づいたシステムを利用した信号機は、警官がセマフォ(腕木式信号機)を手動で操作するもので、夜間使用のために赤と緑、2色のガスランプを備えていました。しかし、1869年、ガスランプの爆発事故が発生。手動操作をしていた警官が酷い火傷を負ってしまい、世界初の信号機は安全上の問題があると判断され、起動後わずか3週間後で撤去されてしまいました。
その後も研究は行われていたようですが、次に信号機が登場するのは、ナイトの発明から40年以上も経過した1910年代のこと。1885年にドイツ人のゴットリープ・ダイムラーが、1886年には同じドイツ人のカール・ベンツがガソリン自動車を誕生させたことをきっかけに、自動車の開発が盛んになります。1900年代に入ると量産化が進み、1908年、ヘンリー・フォードが「大衆のために開発」したという「T型フォード」が登場。自動車が一般にも普及していく中、1914年、アメリカ・オハイオ州クリーブランドに赤と緑の電気式信号機が設置されたそうです(発明家・実業家のギャレット・モーガンの発明だといわれている)。1918年には、世界初の3色灯電気式信号がアメリカのニューヨークの五番街に誕生。歩行者や馬車、自転車が中心だった時代とは異なり、自動車が加わったことで、交通整理する必要が生じたからだといわれています。なお、当時の信号機は黄色が「進め」、赤が「止まれ」、緑が「右左折可」だったようです。
交通信号が赤・青(緑)・黄色の3色なのは、日本独自の規格によるものではなく、CIE(国際照明委員会)という組織において、世界的に規定されています。CIEが規定する信号の色は「赤・緑・黄・白・青の5色」で、交通信号には赤・緑・黄、白や青は航空信号など、交通信号以外に採用されています。かつては白を「安全・進め」、赤を「危険」の意味を持つ色として使っていたようです。ただ、時代が進むにつれて街に街灯が普及し、白い光との区別が付きにくくなったことで、緑色に変更されたといわれています。これに注意を喚起する色として、赤と緑の中間色から黄色が選ばれ、現在の形になったのです。
なお、日本では「緑信号」を「青信号」と呼びますが、「どう見ても緑なのに青なのか?」と、不思議に思う人もいるようです。実は日本に信号機が導入された頃の法令では、「緑色信号」となっていました。しかし、現在の道路交通法を見ると「青色の灯火、黄色の灯火、赤色の灯火」と表記されています。どうして緑が青に変わったか、その理由には諸説ありますが、「青葉」「青物」など、日本では昔から「緑」を「青」と呼ぶことが多かったからだといわれています。
日本の交通信号機は、大正8年(1919年)、東京・上野に「信号標板」が試験設置されたことが始まりです。これは「進メ」と「止レ」の標板を付けた手動式の標識で、大正11年(1921年)から実用を開始。大正半ばから昭和初期にかけて、警察官の「挙手の合図」と共に交通整理に用いられました。日本初の「自動交通整理信号機」は、1930年(昭和5年)、東京・日比谷交差点に登場します。この信号機は米国製の中央柱式信号機で、灯器を交差点の中央に設置するタイプのものでした。翌年(1931(昭和6)年)には、銀座の尾張町交差点(銀座4丁目交差点)や京橋交差点をはじめ、34カ所の市電交差点に三色灯の自動信号機が設置され、信号機の普及はこの日から本格化していったようです。
ただ、当時の歩行者は色灯による交通信号の意味がなかなか理解せず、指示に従わなかったといいます。このため、交差点に多数の警察官を配置して周知させる、青灯に「ススメ」、黄灯に「チウイ」、赤灯に「トマレ」と文字を書くなどの指導を行いましたが、歩行者に浸透するまでにはかなりの時間がかかったそうです。
「都道府県別交通信号機等ストック数(警察庁。平成30年(2018年)度末)」によると、日本の交通信号機(車両用および歩行者用)設置数は約21万基。最も信号機多い都道府県は東京都で15,943基、愛知県(13,305基)、北海道(13,037基)、大阪府(12,321 基)と続いています。交通信号機の種類は多岐にわたり、交叉点の形状や交通流(こうつうりゅう。交通を流体などに抽象化して解析する概念)、交通量などによって適したものが採用されています。交通信号機は、おおまかに車両用信号機と歩行者用信号機に分けられ、主な信号機には下記のようなものがあります。
〇車両用信号機制御方式による種類
・定周期式:あらかじめ決められた時間で、繰り返し表する一般的な信号機。
・時差式:同じ道路方向において、信号灯器の表示時間が異なる信号機。
・押しボタン式:ボタンを押すことで交通信号機の灯器表示を変える信号機(歩行者用信号機と対になり動作する)
・全感応式:車両感知器を設置し、この反応に応じて交通信号機の灯器表示を変える。
・半感応式:主道路へ進入する道路側に「車両感知器」「押しボタン」を設置し、どちらかが作動した時だけ信号機の灯器表示を変える。
・一灯点滅式:通常の交通信号機が設置できない場合、主道路か従道路かを明確にするための信号機。
・自転車用信号機:「歩行者・自転車専用」または「自転車専用」の標示板を取り付けて運用されている信号機。
・路面電車用信号機:通常は車両信号機に従うが、この信号機が設置されている場合は、この灯器表示に従い通行する。
また、歩行者用信号機にも「定周期式」「押しボタン式」などがあります。
なお、信号機の材質として、昭和の頃は主に鉄が用いられてきましたが、現在はポリカーボネイト樹脂やアルミニウムなどが使われています。平成以降、アルミニウムが利用されている理由には、鉄に比べて腐食耐性に優れているという点があります。また、アルミ製は鉄製に比べて軽量、長期間設置に耐えるほどの強度があるため、現在信号機の主流となっています。
本記事でご紹介したように、信号機の発明の裏側には多くの試行錯誤や浸透のための努力があり、現在の「当たり前の風景」が形作られてきたようです。
日本軽金属グループの「Shisaku.com」は、この記事でご紹介した信号機の歴史ような「これまでの常識を破るものづくり」を試作段階からサポートするアウトソーシングサービスです。120社からなる試作職人ネットワークで様々なものづくりを支援しています。これまで大変な人手・コストがかかっていた作業や、労力を使う作業などを効率化するための試作品を一緒に考えていくパートナーとして、17年の歴史を歩んできました。モノづくりのお困りごとを抱えている企業様・個人様からのご相談をいつでもお待ちしております。
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