2020/01/14
「鍋」のルーツは、古代人が調理器具や保存・貯蔵用に用いた土器だと考えられています。大きな貝を鍋のように使うこともあったそうですが、誰もが真っ先に思い浮かべるのは「縄文式土器」や「弥生式土器」でしょう。土器が誕生したのは約1万6000年前、氷河期の中頃だとされています。ただ、近年、中国で2万年前に遡る可能性のある土器が発見されており、古代から人の生活に欠かせない道具だったといえます。
日本においても、青森県大平山元Ⅰ遺跡から、縄文時代草創期である約1万5000年以上前の無文土器(模様のない土器)が出土。縄文時代(前1万2000~4500年頃。諸説あり)は狩猟や漁労、木の実の採集などで食料を得ていたため、縄文人たちはそれらを貯蔵したり、ある時は煮て食べるために土器を用いるようになりました。現代人が考えている以上に食材は豊富だったようで、魚介や鳥獣、果実、キノコ類など獲っていたことはもちろん、ヒエ、アズキ、エゴマ、ナタネ類なども栽培していたといいます。そのため、底のとがった形状の「尖底土器」をはじめ、筒型、甕型といった様々な土器が作られ、食材に合せて利用されました。
縄文土器に多い深鉢(尖底土器の一種)は、尖った(あるいは丸い)底の部分を土や火床の上に立て、食材を加熱調理する鍋として用いられていたようです。ただ、当時の土器は大型であり、料理はスープなどの汁物、煮物が主流だったため、土器から直接口に運ぶことはなかったようです。土器は土と水、火力さえあれば作ることができましたが、その一方、落とすと割れるなど、もろくて壊れやすい面もありました。それを補う丈夫な金属製の鍋は、紀元前2000年頃に出現し、エジプト、メソポタミア、中国などで使われていたようです。当時の鍋は青銅器製で、有名なものとしては古代中国で広く使用された、「鼎(かなえ。食べ物を煮たり、祭りに用いたりする三本脚の器)や「鬲(れき。袋状の脚を持つ三足器。甑 (そう。こしき)と組合せて穀類を蒸すのに用いられた)」などがあります。素焼きの土器とは違い、熱の伝わり方が早く、欠損することも少ない青銅製の鍋はとても便利なものだったでしょう。しかし、金属製の鍋を作るのは技術的にも難しく、当時はとても貴重品でした。
金属製の鍋が貴重だった時代は、世界的に見ても長く続きます。大陸から日本に青銅器と鉄器が伝わったのは紀元前300年頃で、紀元前100年頃、銅剣や銅鐸の鋳造が始まりました。製鉄は400年頃から行われますが、本格的な鋳鉄・鋳造の開始は、仏教が渡来する6世紀以後のこと。金属製鍋についての明確な記録は、平安時代の『延喜式(延長5年(927)年完成。平安時代中期、律令政治の基本として編集されたもの。宮中の年中行事や制度などについて記されている)』に残っており、「鉄鍋を朝廷に献上した」という記述があります。また、延喜式には、燗酒用の鍋だとされる「土熬堝(どこうなべ)」という文字も記されていますが、詳しい形状についてはわかっていません。なお、平安時代の漢和辞書『和名類聚抄(承平年間(931~938年)に編纂)』では、土製の鍋を「堝」、鉄製を「鍋」と区別しています。もともと「鍋」は「肴瓮(なへ)」が転訛した言葉だといい、肴は「おかず(鳥獣の肉や魚介・野菜など)」、瓮は素焼きの「かめ」を表わします。土器で調理をしたところから、「肴瓮」が生まれ、「堝」の文字が当てられるようになったそうです。後に金属製鍋の普及に従って、「鍋(かななへ)」という表記が生まれ、堝は「土鍋」を意味するようになりました。
鉄の供給が不十分で、刀剣、鋤や鍬といった農耕器具を優先的に作ってきた日本において、鉄の鍋が広まっていくのは14世紀頃のこと。当時の絵巻物には、鉄鍋や囲炉裏が描かれており、たとえば、本願寺三世覚如(1271~1351年。親鸞の曽孫で、鎌倉後期、浄土真宗の僧)の伝記『慕帰絵詞(ぼきえことば。1351(観応2)年制作)』では、囲炉裏の火に鍋をかけている様子をはじめ、鍋のあるいくつかの場面を見ることができます。ただ、現代人が抱く鍋のイメージとは違い、大鍋で料理を作り、それを小鉢などに取り分けるという食べ方。「鍋を直接、箸でつつく」ということはありませんでした。ちなみに古い時代の鉄鍋は、ほとんど現存していないといいます。というのも、壊れた鍋は何度も修理し、最終的には溶かして、別の道具を作ったからです。日本の歴史を通して、常に鉄は貴重だったことがうかがえます。
鍋の利用法に変化が生じるのは江戸時代のことです。鍋の普及で、囲炉裏に付けられた「自在鉤(高さを上下に変えることで火加減を調整する道具)」、火から下ろした熱い鍋を置くために作られた「鉄輪」や「五徳」と呼ばれる鉄の台が登場。さらにできた料理は火鉢や七輪にのせ(または火鉢や七輪の上で調理し)、そのまま食べるスタイルも生まれたのです。鍋が食器兼用になった理由のひとつは、庶民の生活にあります。狭い長屋にカマドは一つだけ。薪も水も貴重。おまけに火事の心配があるため、おかずやみそ汁を作るたび、何度も火を起こしたくありません。しかし、鍋料理は水と食材を入れ、火鉢や七輪にかける(木炭を使用)だけで簡単に作れるわけですから、長屋暮らしの人々に広まっていきます。
小鍋を食卓で少人数、もしくは一人で食べる鍋料理のことは、囲炉裏にかける「大鍋」に対して「小鍋立て」と呼ばれました。やがて、塩や味噌に加えて、しょうゆやみりんといった調味料が加わり、鍋料理の種類は増えていきます。それに伴い、「煮込みながら食べる」鍋料理店も登場し、1801(寛政13年)年、浅草に開店した、どじょう鍋の店「駒形どぜう」をはじめ、「あんこう鍋」「田楽鍋」「あさり鍋」「ねぎま鍋」「湯豆腐店」といった鍋専門店が数多く出店。江戸の食文化は大きな発展を遂げます。
「座敷やテーブルに置かれた鍋を複数で囲んで食べる」という、現在のスタイルが確立したのは明治時代、「牛鍋」の登場がきっかけです。これは今でいう「すき焼き」で、牛肉をネギ・豆腐などを、しょうゆ,みりんなどを合わせた割下で煮て食べる料理。仏教伝来以来、日本では肉食が禁止されていましたが、文明開化・富国強兵を契機に、国が肉食を推奨するようになったことも、牛鍋の流行に拍車をかけました。このように江戸時代に始まった鍋料理人気は現在も続き、日本を代表する食文化のひとつとなっています。
日本の豊かな食文化を支えてきた土鍋と鉄鍋は、今も調理の現場で活用されています。その一方で、より美味しく、効率よく料理を作るため、様々な素材を用いた鍋も登場。素材別に見た、主な鍋の特徴は次の通りです。
◇アルミ鍋
・メリット:熱伝導がよく軽量で取り扱いやすい。代表的な製品は、味噌汁作りや野菜類をゆでるのに便利な「行平鍋」。
・デメリット:酸やアルカリに弱い。黒く変色する場合があるため、定期的な手入れが必要。
◇ステンレス鍋
・メリット:保温性が高く、煮込み料理に最適。天ぷらなどの揚げ物にも向いている。また軽くて耐久性に優れており、使いやすい。
・デメリット:熱伝導率が低め。焦げ付きやすい点に注意。
◇ホーロー鍋
・メリット:鉄や銅製の鍋にガラス質の釉薬を塗布した鍋。酸に強く保温性に優れて、また熱伝導率も高く、熱ムラが少ない。
・デメリット:衝撃などに対する強度は弱め。ひびが入った部分からサビが発生する恐れがある。また鍋自体が重いので、取り扱いにくい面も。
◇土鍋
・メリット:火のあたりが柔らかく、保温性が高い。おでんやおかゆなど、長時間煮込む料理に最適。
・デメリット:落としたり、衝撃を与えると壊れやすい。鍋自体が重く、持ち運びしにくい。
◇鉄鍋
・メリット:高温に強く、耐久性もあり、炒める・焼く・揚げるに適した調理器具。丈夫で傷にも強い。
・デメリット:使い始めに焼き込みが必要になるなど、少々手間がかかる。手入れをしないと焦げ付いたり、錆びたりする。鍋自体が重いため、取り扱いには注意が必要。
また、鍋にはコーティングを施している商品もあります。
◇フッ素加工鍋(アルミ、鉄など)
・メリット:こびりつきにくく軽量で、焼いたり炒めたり、いろいろな料理に向いている。フライパンに多い。
・デメリット:金属製のヘラを使うとコーティングがはげてしまうため、木べらやシリコン製の調理器具がおすすめ。
◇セラミック加工鍋
・メリット:耐熱性が非常に高く、摩耗に強く丈夫(高硬度)、機能性にも優れている。酸やアルカリにも強い。
・デメリット:衝撃に弱いため、取り扱いには注意。金属製の調理器具は使わない方が無難。
なお、アルミニウムを薄く平らに延ばしたアルミ箔は、うどんをはじめとする具材入り麺類の冷凍食品、インスタント食品の使い捨て鍋にも多く用いられています。
このように歴史を通じて発展してきた鍋は、すでに完成を見ていると思いきや、実はまだ改良の余地が残されていました。
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