手鏡から望遠鏡まで~鏡の歴史と多様化

2020/04/10

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水鏡から始まり、古代女性のメイクに欠かせなかったアイテム

朝の洗顔、身だしなみを整える、メイクをするなど、普段何気なく、当たり前のように利用する鏡ですが、その始まりは「水鏡」だと考えられています。古代の人は水面に自分の姿を映していたようです。神話や昔話にそのようなシーンが描かれたり、日本各地に「姿見の池(たとえば、美女や遊女が姿を映していたと伝わる池。井戸もある)」が残っていることからも、人類が最初に使った鏡は水面だったことがうかがえます。

 

その後、金属製の鏡が作られるようになりますが、起源は明らかではなく、鋳造技術が誕生した「金属器時代(石器時代に続く青銅器時代と鉄器時代の総称。前3000年から前2000年頃~)」のオリエント地域で始められたと考えられています。当時の鏡は金や銀、水晶、黒曜石、銅、青銅などの原板を磨いたものだったようで、化粧のために使われていたようです。たとえば、すでにアイメイクや口紅といった化粧をしていた古代エジプトでは、古王国時代(紀元前2686年頃~紀元前2181年頃。ピラミッド時代とも)の墳墓から鏡が出土。第11王朝(中王国時代。紀元前2133年頃~紀元前1786年)の浮彫りには、鏡を手にした王女が描かれています。また、ローマ時代のポンペイ(イタリア南部にあった古代都市)からは、豪華な意匠を施した手鏡が出土、上流社会には銀製の鏡も現れたことから、財産的価値も有していたと思われます。

 

日本では「三種の神器」として尊ばれた「八咫鏡(やたのかがみ)」

最初は主に化粧用、富の象徴だった鏡ですが、国や地域によっては「霊力が宿る神聖なもの」としても扱われるようになりました。ちなみに英語の「mirror(鏡)」の語源は、ラテン語の「mirari(英語のmiracle。驚く・不思議の意味)」「mirare(見つめる)」に由来するので、鏡は不思議な力を持っていると考えられていたのでしょう。

 

日本に中国大陸から鏡が伝来したのは、弥生時代前期(約2,200年前)だといわれています。それは青銅(銅にスズを加えた合金)製で、顔を映す道具というより、太陽の光を反射する神秘的なものとして祭祀や魔除けなどの儀式に用いられ、また有力豪族の権力の象徴として珍重されました。さらに歴代の天皇が受け継いだという「三種の神器」には、「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ。草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま))と共に、人の真影を映す力があるとされる「八咫鏡(やたのかがみ)」も伝えられています。

 

古墳時代(3世紀末頃または4世紀初頭頃~7世紀頃)になると、日本でも鏡作部(かがみつくりべ。鏡を作る工人)が鏡を製作。国産の鏡が増えていきます。その後は貴族や上流階級の化粧道具や神仏への奉納物、技術が向上した江戸時代には、庶民向けの鏡が作られるなど、一般にも広まっていったのです。

 

日本に「ガラス鏡」を伝えたのは、あの有名人物?

金属といった物質の表面を研磨するだけではない、ガラスを用いた鏡が造られるようになったのは、14世紀のこと。1317年、ベニス(イタリア)のガラス工によって発明された鏡は、ガラスに皺のない錫箔を置き、その上に水銀を放置。1カ月ほどかけて水銀アマルガム(水銀と他の錫との合金)として密着させ、余分な水銀を洗い流すというものでした。ただ、手間ひまのかかる方法だったため、大量に作ることができなかったそうです。

 

このガラス鏡を日本に伝えたのは、教科書でもおなじみのスペイン人宣教師フランシスコ・ザビエル(1506年~1552年)。天文18年(1549)年、ザビエルは周防国大名・大内善隆(永正4年(1507年)~天文20年(1551年))に対し、望遠鏡・時計・鏡(手鏡)ほか、ヨーロッパ製の珍しい道具を贈ったといわれています。

 

それに続く天正3年(1575)年、ガラスの製法がオランダ人から長崎に伝わります。さらに天正10年(1582)年、九州のキリシタン大名大村純忠・大友義鎮・有馬晴信がイタリアの宣教師アレクサンドラ・バリニャーノ(1539年~1606年)の勧めにより、「天正遣欧使節(伊東マンショほか、14~15歳の少年4人による少年使節団)」をローマに派遣。彼らはローマ法王グレゴリウス13世、イスパニア国王に謁見、さらにガラス工場を見学し、天正18年(1590年)に帰国しますが、その際、ガラス鏡4枚とガラス器具2個を持ち帰っています。

 

現在のような鏡の製作技術が開発されたのは意外と遅く、19世紀になってからのこと。1835年、有機化学に貢献し、科学教育の分野でも活躍したドイツの有機化学者ユストゥス・フォン・リービッヒ(1803年~1873年)が、製鏡技術のもととなる「銀鏡反応」を開発します。これは、還元性のある有機化合物に硝酸銀アンモニア溶液を加えて温めると、銀イオンが環元されて析出(液状の物質から結晶または固体状成分が分離して出てくること)し、ガラスに付着する反応で、製鏡に応用されたことが、鏡の大量生産のきっかけとなりました。その後も製鏡技術は品質、生産方法共に改良され続け、耐久性なども飛躍的に向上しますが、ガラスの裏面に銀めっきを施すという点では、19世紀以来、変わっていません。

 

「顔を映すだけじゃない」鏡の性質を利用した発明品

鏡は一般的な「平面鏡(鏡によってできる像が、実物と同じ大きさになる鏡)」に限らず、今や飲食店や商店の室内装飾をはじめ、ミラーボール、探照灯やヘッドライトの「凹面鏡(球面の内側を利用する鏡。入射してきた平行光線を集めることができる)」、自動車のバックミラーや道路に備え付けられるカーブミラーの「凸面鏡(球面の外側を利用する鏡。入射してきた平行光線を一点から出てくるように拡散することができる)」など、その性質を利用して、多岐に渡って用いられています。

 

鏡を用いた発明品のひとつに「反射望遠鏡」があります。これは光学系にレンズを用いた屈折望遠鏡に対し、対物レンズの代りに凹面反射鏡を用いた望遠鏡で、ガラスの放物面鏡にアルミニウムを真空蒸着したものが用いられています。望遠鏡自体は、1608年、オランダのレンズ製作者、ハンス・リッペルハイ(1570年~1619年)が発明したといわれており、それは光を集める部分にレンズを用いた「屈折式望遠鏡」でした。これに続く1609年、望遠鏡を自作したのが、イタリアの自然学者・天文学者であり、近代科学の父と呼ばれるガリレオ・ガリレイ(1564年~1642年)。ガリレオの望遠鏡は、凸レンズを対物レンズ、凹レンズを接眼レンズとして用いたもので、現在は「ガリレオ式」もしくは「オランダ式」と呼ばれ、その仕組みはオペラグラスに用いられています。

 

ガリレオが望遠鏡で、月面の凹凸や天の川、木星の衛星、土星などを観測していた頃、ドイツの天文学者であり、天体の運行法則に関する「ケプラーの法則」で知られるヨハネス・ケプラー(ヨハンとも。1571年~1630年)が、1611年に対物・接眼共に凸レンズを用いる望遠鏡を発表。ガリレオ式が正立像に対し、ケプラー式望遠鏡は倒立像というデメリットはありましたが、ガリレオ式では倍率を上げると視界が狭くなるという点を解消しました。ただ、ケプラー自身は望遠鏡を製作しませんでした。1615年、これを形にしたのは、ドイツの天文学者クリストフ・シャイナー(1575年~1650年)で、高倍率が得られるため天体望遠鏡として普及。このことから、ケプラーは天文望遠鏡の生みの親ともいわれています。

 

多くの天体を発見したガリレオやケプラーの「屈折望遠鏡」ですが、レンズに生じる「色収差」が測定・識別能力を阻害し、性能が上がらないという欠点がありました。これに対して、開発されたのが「反射望遠鏡」です。色収差とは、レンズを通して物体の像を結ばせるとき、光の波長(色)によってガラスの屈折率が異なるため、色がにじんだり、像の位置や大きさが異なること。これを解消するため、1668年、英国の物理学者・天文学者・数学者であり、「運動の法則」「万有引力の法則」を唱えたアイザック・ニュートン(1642年~1727年)は、「反射望遠鏡」を作り上げます。これは凹の放物面鏡を主鏡とし、光軸に対して45度に傾けた副鏡の平面で再反射させ、鏡筒の側面の穴から観測する仕組みの望遠鏡で、反射鏡の直径が1インチ(25.4mm)、焦点距離が6インチ(152.4mm)で倍率は30~40倍、口径比はF6だったそうです。なお、1671年、ニュートンは口径34mm、焦点距離159mm、倍率38倍の望遠鏡を製作し、王立学会に寄贈しています。

 

ニュートンの望遠鏡製作に影響を与えたのは、スコットランドの数学者・天文学者ジェイムズ・グレゴリー(1638年~1675年)です。グレゴリーは1663年、初の実用的な反射望遠鏡(グレゴリー式望遠鏡)の原理を発表。これは2枚の凹面鏡を組み合わせ、正立像(上下左右が正しい向きの像)が得られるものでしたが、彼自身は製作できませんでした。

 

ニュートン同様、グレゴリーの望遠鏡を実作したのが、フランスのカトリック教会の司祭であり、天文学者のローラン・カセグレン(1629年~1693年)です。彼は放物凹面主鏡で反射した光を双曲凸面副鏡で反射し、主鏡中央の穴に光を導く方式を考案しました。この方法は「カセグレン式」と呼ばれ、現在の主な天体望遠鏡はカセグレン式、またはカセグレン式の改良型になっています。

 

万華鏡も鏡の発明品、割れない鏡も登場。

小学校の工作でおなじみの「万華鏡」ですが、実は鏡を用いた立派な発明品だということをご存知ですか。発明したのは、物理学者のディヴィッド・ブリュースター。1816年、彼は灯台の明かりを遠くまで届けるため、鏡を使った研究をしている途中、複数の鏡を組み合わると美しい模様が見えることを発見しました。

 

また、鏡の基本素材にはガラスが用いられていますが、割れてしまうという欠点があるため、近年は「ステンレスミラー」「アクリルミラー」「アルミミラー」といった「割れない鏡」が注目されています。これらはちょっとした不注意で鏡を壊す可能性の高い、小学校や介護施設などに設置されることが多いようです。また、地震や台風といった災害時、鏡の破片によるケガを防ぐこともできるため、割れない鏡は普及していくことでしょう。

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