2020/08/19
アルミは軟らかく、腐食しやすい金属です。家庭用品や工業材料にする場合の多くは、これらの欠点を補わなければいけません。そのうちのひとつが、表面に皮膜を作るアルマイト加工です。工業材料でも当たり前のように使われていますが、一般の人々でも弁当箱やヤカンでおなじみでしょう。
もうひとつが、ほかの元素と混ぜ合わせる合金です。特にアルミニウムが実用化された初めのころは、もっぱら航空機や兵器の材料として研究が進められました。
アルミは化学的な活性が極めて高い金属です。「ほかの元素と簡単に結びつく」と言い換えてもいいでしょう。これは、「合金も簡単に作ることができる」ということもあります。
アルミは長らくその存在が知られていませんでした。あまりに簡単にほかの元素と結びつくために、自然界では純度の高いアルミがなかったのも大きな理由でしょう。化合物から分離されて、アルミの存在が確認されたのが、1807年でした。今の製造方法に近い電解精錬法が発明されたのが1886年です。
アルミが工業的に製造されるようになると、ほかの元素と結びつきやすいことはむしろメリットとなりました。腐食しやすさを補ったり、強度を増すために、銅・マンガン・ケイ素などとの合金にしてから使われることが多くなったのです。
あまりに合金の種類が多く、また特徴も異なるので、JIS規格ではそれぞれ番号を付けて区別しています。
無数にあるアルミニウム合金の中で、わざわざ別の名前で呼ばれ、しかもそれがよく知られているのは、「ジュラルミン」ではないでしょうか。あまりに有名なために、ジュラルミンではないアルミ合金まで「ジュラルミン製のドーム屋根」といったように呼んでしまうことがあるぐらいです。
ジュラルミンは、アルミニウムをメインに、銅を約4パーセント、マンガンとマグネシウムをそれぞれ約0.5パーセント加えたものです。1903(明治36)年にドイツのA.ウイルムが発明しました。
また、熱処理で硬化することが初めて確認されたアルミニウム合金です。焼き入れした鉄である鋼(こう、はがね)と同等の強度がありながら、比重は約3分の1なので、特に航空機の機体材料として重用されました。
日本には第一次世界大戦中の1916(大正5)年に初めてが持ち込まれました。これはイギリス・ロンドンを空襲した際に撃墜されたドイツの飛行船・ツェッペリン(ドイツ海軍・Super Zeppelin LZ76)の残骸でした。日本での研究・開発はこの分析から始まります。
様々な国で先を競って改良が重ねられ、中でも1928(昭和3)年アメリカ・アルコア社が開発したものは「超ジュラルミン(Super Duralumin)」と呼ばれます。銅約4.5パーセント、マグネシウム約1.5パーセントの配合でした。
1936(昭和11)年、超ジュラルミンを超える強度のアルミニウム合金が日本で開発されました。亜鉛約5.5パーセント、マグネシウム約2.5パーセント、約銅1.6パーセントのこの合金は、「超々ジュラルミン(Extra Super Duralumin)」と呼ばれるようになります。
その翌年から開発が始まった海軍の「十二試艦上戦闘機」にもいち早く採用され、主翼部分の桁(けた)の部材となりました。1940(昭和15)年、この戦闘機は制式採用され「零(れい)式艦上戦闘機」となりました。いわゆる「ゼロ戦」です。
ゼロ戦は徹底した軽量化で知られていますが、超々ジュラルミンを一部に使ったことだけでも、約30キロの削減につながったとされています。
また余談になりますが、弊社日本軽金属㈱はゼロ戦に使われるジュラルミンなどのアルミニウム材料を日本国内で製造することを目的として、古河電気工業㈱と当時の東京電燈㈱(後の東京電力㈱)の提携により設立されたという背景もございます。
ジュラルミン・超ジュラルミン・超々ジュラルミンは、JIS規格でいえば、それぞれ2017合金・2017合金・7075合金に相当します。また、数あるアルミニウム合金の中で、「ジュラルミン」と呼べるのはこの3種類だけです。
いずれも重要視されてきたのは、航空機材料には強度と軽量の両方が不可欠だったからです。1962(昭和37)年に初飛行した、戦後初の国産旅客機「YS-11」が総ジュラルミン製だったことからも分かるように、戦後も長く機体材料の主力でした。
ただ、1980年代から新しい素材として、「炭素繊維複合材料」も登場しました。2011(平成23)年就航の「ボーイング787」には構造重量の約50パーセントまでが炭素繊維複合材料になり、ジュラルミンもいよいよ主役の座を降りようとしています。
それでも約100年もの間、航空機材料の主役だったことには違いはありません。
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