公園を形作ってきた遊具の歴史。ブランコの由来は?すべり台はいつから?

2020/04/02

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遊具の歴史と変遷

遊具やアトラクションを有する公園や遊園地は、今も昔も子どもたちにとって最高の遊び場です。近年は、1983 年に開園した「東京ディズニーランド(千葉県浦安市)」をはじめとするテーマパークが人気で、2001 年オープンの「東京ディズニーシー(千葉県浦安市)」「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(大阪府大阪市)」と共に「遊園地の東西二強」となり、趣向を凝らしたアトラクション、ショーやパレードといった多彩なイベントは、子どものみならず、大人をも魅了しています。ただ、「遊園地に行くなら「東京ディズニーランド、東京ディズニーシー」か「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」」という風潮が生まれ、閉園に追い込まれた日本各地の地域密着型遊園地も少なくないようです。

 

有名遊園地に人気が集中しているとはいえ、街の小さな公園に行くと、すべり台やブランコなど、昔ながらの遊具で元気に遊ぶ子供たちの姿を見ることができます。華やかなテーマパークもシンプルな遊具が置かれた公園も、子どもたちにとって楽しい遊び場であることに変わりはないということでしょう。

 

しかし、その公園から、かつては当たり前に設けられていた遊具が消えつつあります。

 

子供のために作られたはずの遊具にレッドカード!?

近くの公園に足を運び、園内を見回した時、違和感を覚えることがありませんか。「自分が子どもの頃とはどこか違う?」「何となく物足りないような……」と感じる原因は、遊具が減っている、または様変わりしているからです。中でも顕著なのは、定番だったはずの「シーソー」や「回転ジャングルジム(ぐるぐる回る球形のジャングルジム)」といった動きのある遊具が姿を消している点でしょう。これらに加え、「箱ブランコ(複数の人が向かい合わせで乗れるブランコ)」「シーソー型ブランコ(シーソーのようにまたがって乗るブランコ)」「回旋塔(中央の柱に付いた傘状の道具、また鎖につかまって回る)」」なども減少の一途をたどっています。そのため、公園によっては鉄棒くらいしかないというケースもあるようです。

 

公園から動く遊具が消えた理由のひとつは、たとえば、「回転する遊具で転んでケガをした」など、遊戯中の事故が増加したことにあります。1990年代後半~2000年代初頭には箱型ブランコの事故が数多く発生し、死亡者も出ています。事故の原因を見ると、「遊具の老朽化(公園遊具には、1970年代に作られたままものも少なくない)」「ブランコで立つ、すべり台を逆走するなど、ルールを無視して遊んだため」など、必ずしも「動くからケガをした」わけではありません。また、先ごろ行われたスポーツ庁の調査によると、子ども(小学生・中学生)の体力や運動能力が昨年度(2018年)より低下。「運動時間の減少」「スマートフォンなどの長時間視聴」が原因だとみられていますが、遊具における事故に遠からず

関係している可能性もありそうです。

 

公園における「三種の神器」

遊具を取り巻く厳しい環境に、比較的左右されていないのが「ブランコ」「すべり台」「砂場」です。これらの遊具は、どの公園でもわりとよく見かけるのではないでしょうか。その理由は、昭和31年(1956年)に制定された「都市公園法」にあります。これは「都市公園の設置と管理に関する基準などを定めて、都市公園の健全な発達をはかり、公共の福祉の増進に資すことを目的とする」法律ですが、その中で児童公園(現在の街区公園)に「ブランコ」「砂場」「すべり台」の設置が義務付けられていました。そのため、これらの遊具は多くの公園に設けられ、「公園の三種の神器」と呼ばれるようになります。平成5年(1993年)の都市公園法改正において、この規制は廃止されましたが、今でもブランコ、砂場、すべり台のある公園が多いのはそのためです。

 

慶應義塾大学運動場に「ブランコ」があった!?

現在のような遊具が日本に入ってきたのは、幕末から明治初期にかけてのこと。1873年(明治6年)、明治政府は地方自治体に対し、「人々が皆楽しめる場として、公園にふさわしい土地があれば申告するように」という法令(太政官布告第16号)を出しました。日本の西洋化・近代化を進めることを目的とした施策に沿って、寛永寺(上野公園。1873年(明治6年)開園、1876年(明治9年)完成)や増上寺(芝公園)の境内などが、日本初の公園に指定されます。日本で初めて「公園」という言葉が使われたのも、この時です。その後も日本初の洋式公園である「日比谷公園」がオープンするなど、各地に公園が整備されていきます。ただ、園内に遊具が登場するのはもう少し後のことで、当初は遊ぶための器具ではなかったようです。

 

嘉永6年(1853年)、マシュー・カルブレイス・ペリー(1794年~1858年。アメリカ海軍の軍人)率いるアメリカ艦隊が、日本との通商を求めて浦賀に来航。開国を迫るアメリカに対し、国防の必要性を強く感じた徳川幕府は、西洋式軍事技術の採用を決め、陸軍が仏式調練、海軍は英式調練を行うことになります。この調練のひとつに「体術(体操)」があり、

明治元年(1868年)に出された『佛蘭西陸軍伝習 新兵体術(田辺良輔(雅好)』によると、棒高跳・棒幅跳、木馬(跳び乗り、後方回転下り等を練習)といった訓練項目に混じって、

ブランコが使われたことがわかります。どうやらブランコは体操(特に器械体操)用の器機であり、少なくとも明治時代は、子供の遊びに特化したものではなかったようです。

 

軍隊で訓練目的に使われた遊具は、教育現場にも用いられるようになります。慶應義塾大学の創始者・福澤諭吉は、学問と共に体育の重要性に早くから注目していたそうで、「学業の疲れを散じ、身体の健康を保つ手段として、西洋の学校では体育を重視している」と述べています。そのため、新銭座町(現在の港区浜松町1丁目・海岸1丁目)あった大学の中庭を運動場として、そこにシーソー、ブランコ、鉄棒などの運動遊具を整えていました。明治4年(1871年)、慶応義塾が三田に移転した後も、校庭には同様の体操器具を数多く設置。専門家を雇って、学生にいろいろな運動を教えさせたそうです。

 

学校教育における体操は、明治6 年(1873年)に始まります。明治11 年(1878年)には、アメリカの体育教師ジョージ・アダムス・リーランド(1850年~1924)が文部省に招聘され、体操伝習所(1878年、東京に設置された文部省直轄の西洋式体操の教育機関。1886年に廃止。高等師範学校体操専修科に引継がれた)教師に就任。学校体操の指導者養成に尽力します。その間、明治9年(1876年)、東京女子師範学校付属幼稚園にすべり台が設けられ、1879年(明治12年)には、上野公園にも体操場、木馬、梯子といった遊具が設置されました。

 

明治19 年(1886年)になると、当時の文部大臣・森有礼の教育改革により、尋常小学校では遊戯と軽体操、高等小学校では兵式体操が必須科目となります。明治時代の浮世絵師・歌川国利(弘化4年(1847年)~明治32年(1899年))の『新板器械体操之図(明治中期)』には、男子生徒たちが棒高跳び、木馬、平行棒、ブランコ、吊り輪、回転塔、鉄棒などの器械体操に取り組む姿が描かれています。

 

ブランコのルーツは「宗教的儀礼」?

日本では体操用器機に始まり、やがて子どもの遊具として、幼稚園や小学校、公園に広まっていったブランコですが、縄を高い所に掛けるだけの簡単な仕組みのせいか、その歴史はかなり古いようです。起源はインドにあり、「女性がブランコに乗る」ことを「聖婚儀礼(その年の豊穣などを願い、巫女が神と交合する儀式。その文明や国によって、式の内容は異なる)」としたのが始まりだといわれています。また、紀元前3000年頃のものとされるメソポタミアの「マリ遺跡」からは、高い背もたれの椅子に女性が座るテラコッタ(粘土を素焼きにして作った器物・塑像)が出土。椅子には二つの穴があり、そこにひもを通すことでブランコのように揺れるように作られていました。これは『ブランコに乗る豊穣女神

ヒンフルサグ』で、季節的豊穣儀礼を表す像と考えられています。なお、クレタ島(ギリシャ)の「イラクリオン考古学博物館(新石器時代からローマ時代に至るまで、クレタ島の出土品を収蔵)」には、紀元前1600年頃、ミノア文明期(クレタ文明、ミノス文明とも。前20世紀頃~紀元前14世紀頃の間、クレタ島で栄えた文明)の「ブランコに乗る女性小像」が展示されているそうです。

 

宗教儀礼的なブランコは、メソポタミアからギリシア、中国などを経て、やがて日本にも伝わります。平安前期の勅撰漢詩文集『経国集(淳和天皇の命で、良岑安世、滋野貞主らが編纂。天長4年(827)成立)』には、嵯峨天皇(延暦5 (786)年~承和9 (842)年。第52代の天皇(在位 809~823年))の時代、女官が「鞦韆(しゅうせん。ふらここ、ふらんど、ゆさはりとも)」と呼ばれるブランコに乗って遊んだことが記されています。鞦韆は今日と同じ形ブランコですが、座る板のない、木からつるした1本の綱につかまって動くもの(これが由佐波里(ゆさはり)だという説もあり)もあったようです。

 

鞦韆が「ぶらんこ」と呼ばれるようになるのは、江戸時代からです。名前の由来にも諸説あり、ぶら下がる様子を表す「ぶらん」が変化した、ポルトガル語の「balanço(ポルトガル読みはバランソ。揺れとか振動を表す)」が語源だといわれています。

 

変わらない遊具、これからの遊具

遊具の老朽化や事故のリスクが高いなどの理由で、遊具の種類は減りつつあります。その代わりに増えつつあるのが「健康遊具」です。これは「懸垂」「背伸ばし」「足ツボ」などを行う、いわゆるフィットネス、健康増進が目的の器機になっています。健康遊具増加の背景には、少子高齢化が少なからず影響しているようです。健康に気を使う中高年層が、ジョギングや軽い運動をするために公園利用をする機会が多くなっため、健康遊具の導入が増えたと考えられます。

 

その一方で、公園遊具メーカーは安全性の観点に立ち、素材を鉄から樹脂・プラスチックを組み合わせたものに変更するなど、加工や管理のしやすさ、耐久性などを考慮しながら遊具製作を行っています。ただ、雨が多く湿度の高い日本において、木製遊具は腐食しやすいため、野ざらし状態でも耐久性が期待できる金属を適所に用いた遊具も作り続けていくようです。

 

公園が「子供の遊び場」から、幅広い世代の多彩なニーズに応える施設へと変わるのは、時代の流れかもしれません。とはいうものの、やはり「ブランコ」「砂場」「すべり台」といった遊具で元気に遊ぶ子どもたちの姿は、公園の主役であって欲しいと思います。

 

参考資料

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